コンテンツへスキップ

昨年、参議院決算委員会での林芳正外務大臣の答弁により外務省ホームページに記載されている南京事件に根拠となる資料のないことがわかりましたが、そのさい林外務大臣は「戦史叢書 支那事変陸軍作戦(1)」あげたことから、今年一月二十六日、参政党の神谷宗幣参議院議員があらためてホームページのもととなる資料は何か、外務省はホームページの記載内容をどう評価しているか、「歴史認識に関わる我が国の政策に関する質問主意書」を提出しました。

 二月六日、政府は平成十九年四月の西村真悟衆議院議員の質問主意書に対する政府答弁書をあげ、「『戦史叢書』に限らず、それまでに公になっていた文献等から総合的に判断した」「根拠となる資料が欠けているとは考えてない」と答えました。昨年の林外務大臣の答えとまったくおなじです。

そこで二月二十八日にあらためて神谷議員は、戦史叢書に一般住民を意図的に殺害したという記述は見当たらないと指摘したうえ、政府が南京での非戦闘員の殺害や略奪行為を否定できないと判断するに至った具体的な分析過程を教示されたい、またホームページについて「根拠となる文書類がないのであれば、曖昧な表現は避けるべきではないか」とする質問主意書を提出しました。外務省はどう回答するか、注目されます。

フリー百科事典として知られているウィキペディアは、ネットを通して編集され、日々更新されています。日本語版は平成十三年から始まり、多くのひとに調べ物として利用されてきました。

日本語版が始まると南京事件も記述されました。すでに日本政府が認め、教科書が記述していることから、ウィキペディアも南京事件を市民殺害の事件として記述しました。笠原十九司や秦郁彦の著作を引用し、南京事件を否定する見方を排除してきました。当然のこと、間違いだらけで、ウィキペディアのほかの記述まで疑われている始末です。

昨年四月三日、林芳正外務大臣が外務省ホームページの記述に根拠がないと答えたことはウィキペディアにも記述されました。しかし、投稿者のあいだで「産経新聞」や月刊誌「WILL」「HANADA」「正論」などに掲載された論考は認めないという方針があらためて示され、外務大臣が答弁したことは削除されてしまいました。

そういったウィキペディアの編集に対し、令和六年に入り反論が出され、これまでなかった論争が繰りひろげられています。論争の一部はウィキペディアの「ノート」のなかに見ることができます。削除された外務省ホームページの記述や安全区委員会に関する記述が戻されるのか、注目されています。

YouTube「『日本製』普及TV第45回」が名古屋での松井石根大将名誉回復を呼びかけています。

二年前、南京攻略八十五年を記念して名古屋で松井石根大将を顕彰する企画が起こりました。日本製普及会と正しい歴史を学ぶ会がそれぞれ企画し、日本製普及会は熱田神宮で「『南京事件』日本人50人の証言」と「完結南京事件」の二冊の普及祈念祭を行うことが、正しい歴史を学ぶ会では講演会を開催することになり、日時、会場、講師まで決まりましたが、コロナ禍ということから双方とも延期されました。

松井石根大将は名古屋に生まれ、先祖の武兵衛は名古屋の町割りをし、そのため武平町としていまも名前が残っています。また、松井大将が昭和十五年に興亜観音を建立したとき、観音像は常滑でつくられ、本堂の建材は熱田神宮の余材でつくられました。さらに名古屋駅近くの椿神明社には松井大将の顕彰碑が建てられたという縁もあります。

このようなことから、「日本製」普及会では「名古屋人が松井石根大将の名誉回復する時が来た」として、改めて名誉回復の開催を呼びかけました。名古屋近辺に在住の日本製普及会女性会員が先頭に立って進めることが期待されています。

なお呼びかけたYouTubeは「完結南京事件」の表紙写真を使っていたため削除されたようですが、下記で見ることができます。

「南京大虐殺から雲南戦へー日本の中国侵略から敗戦に至る足跡を巡る」と題する本が二月に花伝社から刊行されました。書名からわかるように半分は南京事件に関する記述で、真宗大谷派南京平和法要友好訪中団の動きと、南京大虐殺犠牲者国家追悼日の採択経緯などが記述されています。

昭和六十二年から山内小夜子さんが呼びかけ、数十人の日本人が南京虐殺記念館を訪れていました。真宗大谷派教学研究所研究員でもあった山内さんは、中国の要請を受けて真宗大谷派の僧侶に呼びかけ、平成十五年から十人ほどが南京虐殺祈念館の平和法要に参加するようになります。平成二十六年、中国は十二月十三日を南京大虐殺犠牲者国家追悼日と決めます。新刊はこれらについての記述で、著者は日本の侵略の爪痕を紹介するとして数多くの著作を上梓してきたひとです。

それにしても、架空の出来事を取りあげこのようなことを行うとは、中国は異常な国、日本人僧侶も異常な人、としかいいようがありません。

南京事件の国会議論を振りかえると、南京事件を認めるよう政府に求めてきたのは日本社会党と公明党である。日本共産党は、中国共産党と対立していたからであろう、南京事件を取りあげることなく、取りあげたのは日本社会党や公明党に遅れること三十三年、平成二十七年である。南京事件がユネスコの世界遺産に登録されたときで、日本政府は高橋史朗明星大学教授をユネスコ国際諮問委員会に派遣したが、南京事件を否定している人物を派遣するとはどういうことだ、と政府に迫った。

南京事件が世界遺産に登録されたとき、どの新聞も第一面で大きく取りあげたが、それは南京事件を懐疑的にみなしていたからで、そういったなか日本共産党が取りあげたので、唐突の感を与えたし、高橋史朗教授についての毎日新聞の報道に乗っただけとも感じられた。

このとき参議院文教科学委員会で取りあげたのが田村智子議員で、日本共産党は今年一月十八日の党大会で田村智子政策委員長を委員長に選んだ。日本共産党はこれからも南京事件の既成化に向け何かやるのだろうか。