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十月九日(日本の十日未明)、南京事件がユネスコの世界記憶遺産に登録され、以降、日本では様々な動きが起きている。

十三日、菅義偉官房長官はユネスコを批判、馳浩文科相も同様にユネスコを批判した。谷内正太郎国家安全保障局長は来日した楊潔篪国務委員に対して抗議した。自民党からも同様な声が上がり、二階俊博総務会長がユネスコ分担金拠出の削減を検討すべきと述べた。
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十月九日、ユネスコは中国が申請していた南京事件の登録を認めた。

ユネスコの世界記憶遺産は、消滅する恐れのある史料を保存しようというもので、同じユネスコの世界遺産や世界文化遺産とは違うが、これまで、イギリスの大憲章や日本の慶長遣欧使節関係資料などが登録されており、登録されるなら歴史事実として世界に認められる。

昭和の終わりまで、中国は南京事件をまったく無視していたが、ここ数年は、既成事実化に力を入れ、外交手段としての価値をより一層高めようとしてきた。かつて南京虐殺記念館を世界文化遺産にしようとして失敗したが、今回はこれまでの姿勢とまったく違っていた。

登録申請したことが明らかになったのは去年の六月で、そのため日本のさまざまな団体や個人がユネスコと接触、抗議するとともに、どのような史料を申請したか探り、「マギーフィルム」「程瑞芳日記」「マッカラムの手紙」などが申請されているとわかった。

マギーフィルムは、当時南京にいたマギー牧師が写したもので、病院の負傷者や城内の様子が写されている。もともと日本軍の残虐さをアピールしようと写されたものだが、写っている負傷者は十人に満たないもので、悲惨さはアピールできただろうが、日本軍の軍紀の乱れや虐殺が記録されたものではない。

程瑞芳日記は、金陵女子文理学院の舎監を務めていた程瑞芳の昭和十二年十二月の日記で、難民収容所となった金陵女子文理学院の実態が書かれている。日記によると、強姦と掠奪が九件起きているが、若い女性を中心に一万人ほど収容していた学院でこの件数というのは特記すべきことではない。その強姦にしても、金陵女子文理学院では中国軍の大佐を頭にした一段が日本軍の仕業に見せかけて強姦を繰り返していたし、掠奪は鶏などの食糧やお金といったもので、程瑞芳は一件の殺人も見ていない。

マッカラムは南京にあった病院で働いていた宣教師で、申請されたのは妻に宛てた手紙である。程瑞芳日記と同じように、日本軍の不規律が記載され、南京が大混乱に陥ったように書かれている。しかしそれらは抽象的な記述で、マッカラム自身が見た日本兵の事件は、強姦二件、連行・掠奪二件、掠奪、放火、破壊それぞれ一件である。

このようなことから、三つの史料は事件を証拠だてるものではない。中国が言うように三十万の虐殺があったなら、金陵女子文理学院にいた一万人は全員殺害されてなければならないはずだからである。またそのほかの、たとえば「谷中将軍事裁判記録」は、戦後になって行われた軍事裁判で、史料などと言えないものである。

早くからユネスコに接触していた「幸福の科学」は反論書を提出し、遅れて「『南京の真実』国民運動」も国際諮問委員会の十四人に反論資料を配った。

今年の初夏には、申請された九十六件のうち五から七件に対して不備があり、南京事件もそのうちの一つであるとユネスコが判断したことが明らかになり、申請は認められないだろうという見方が広まった。

しかし、中国の取り組み方は半端でない。登録の最終決定者である事務局長に対して習近平はすでに会っている。その事務局長に答申する国際諮問委員会の十四名にも中国は猛烈な攻勢をかけている。史料に不備があると連絡を受けると新たな史料を提出する。国を挙げての取り組み方で、決定ひと月前になると、国際諮問委員会は仮登録との決定を下した。

それに対して、これまでユネスコに働きかけていた個人や団体が座視していたわけでない。「『南京の真実』国民運動」は外務省がただちに行動を起こすよう要請した。自民党の外交部会も外務省に早急の対応を求めた。外務省の言い分によると、国際諮問委員会は説明を嫌っているという。しかし、十四人は歴史の専門家でなく、そういう人に対しては提出された史料が保存に価しないことを詳しく説明すべきであろう。

日本と中国の姿勢を比べると格段の違いがあり、恐れていた通り認められてしまった。こうなったのには、ひとえにこれまでの南京事件に対する外務省の態度と、申請されたとわかって以来の外
務省の姿勢にあるだろう。... 続きを読む