コンテンツへスキップ

ウィキペディアで南京事件の論争

フリー百科事典として知られているウィキペディアは、ネットを通して編集され、日々更新されています。日本語版は平成十三年から始まり、多くのひとに調べ物として利用されてきました。

日本語版が始まると南京事件も記述されました。すでに日本政府が認め、教科書が記述していることから、ウィキペディアも南京事件を市民殺害の事件として記述しました。笠原十九司や秦郁彦の著作を引用し、南京事件を否定する見方を排除してきました。当然のこと、間違いだらけで、ウィキペディアのほかの記述まで疑われている始末です。

昨年四月三日、林芳正外務大臣が外務省ホームページの記述に根拠がないと答えたことはウィキペディアにも記述されました。しかし、投稿者のあいだで「産経新聞」や月刊誌「WILL」「HANADA」「正論」などに掲載された論考は認めないという方針があらためて示され、外務大臣が答弁したことは削除されてしまいました。

そういったウィキペディアの編集に対し、令和六年に入り反論が出され、これまでなかった論争が繰りひろげられています。論争の一部はウィキペディアの「ノート」のなかに見ることができます。削除された外務省ホームページの記述や安全区委員会に関する記述が戻されるのか、注目されています。