コンテンツへスキップ

令和五年度検定に合格した中学校社会(歴史的分野)が発表されました。四年まえ合格した教科書は七社で、南京事件の記述は変わらず、今回も合格しました。四年まえ不合格となった自由社の教科書は、南京事件を記述せず、今回も記述していませんが、今回は合格しました。また、令和書籍の「国史教科書」が新たに合格しました。令和書籍の「国史教科書」はほかの教科書にない分量を南京事件に割き、このように記述しています。

「終戦後の極東国際軍事裁判(東京裁判)で、南京占領期間中に日本軍が二〇万人以上の住民を虐殺したと認定されました(南京事件)。現在の日本の学会では、虐殺の人数について、十数万~二〇万人、四万~五万人、一万人前後、捕虜などの不法殺害は二万人近くあったが民間人の殺害は数千人、といった学説が示されていますが定説はありません。これに対して中華人民共和国政府は三〇万人以上の虐殺があったと主張しています。

当時、国民革命軍の軍人の多くが民間人に扮して便衣兵と呼ばれるゲリラ兵となって民間人を人質に立て籠もりあるいは敵対行為をしていました。これは国際法違反でした。逮捕され処刑された便衣兵も多く、これを「虐殺」と指摘されている可能性もあります。

また、日本軍入城時の南京の人口は二〇万人程度でしたので、三〇万人を虐殺することは不可能です。また、日本軍が南京を占領してから一カ月後には人口が五万人増加していますが、大虐殺の直後に五万人が移住してくるわけがなく、三〇万人大虐殺の根拠はいまだ示されたことがありません」

 外務省ホームページの問題に関しては、令和六年に入ってからも、参政党の神谷宗幣参議院議員が質問主意書提出、「WiLL」五月号が「外務省ホームページ『南京虐殺』はなぜ消えない」を掲載、「外務省ホームページの変更を要望する会」がホームページを変更するよう外務省へ要望、和田政宗参議院議員と評論家西村幸祐氏による講演会開催、と続いており、「時事評論 石川」五月二十日号に掲載されたコラム「『南京事件』にメスを入れよ」は、それらをまとめ、「今こそ、日本国民が一致団結して事実無根の南京虐殺の反論しよう」と結んでいます。

 「日本の息吹」6・7合併号がレポート欄で「外務省HPの南京記述の削除を求める要望書が提出」として「外務省ホームページの変更を求める会」が外務省に面会して要望書を提出したことを伝えています。  54頁に掲載された記事は、和田政宗参議院議員が昨年四月三日に国会で取りあげ、林芳正外務大臣が外務省のホームページに根拠のないことを答弁、それから一年目に当たる今年四月二日、「ホームページの変更を求める会」が外務省に面会して訂正の要望書を提出、そのあと評論家西村幸祐氏と和田政宗議員が経緯を報告した、と一連の流れをわかりやすく紹介しています。

現在使用されている教科書は小学校から高校までほとんどが南京事件を記述しています。しかし昨年、南京事件を記述している外務省ホームページに根拠はないと林芳正外務大臣が答弁しました。それを受けて「教育を良くする神奈川県民の会」(代表・小山和伸神奈川大学教授)は記述を訂正するよう教科書会社へ提言しました。

提言は「南京戦についての基本認識」「貴社の記載に対する具体的提言」のふたつにわけられ、具体的提言では、たとえば東京書籍の教科書に「女性やこどもをふくむ多くの中国人が殺害された」と記述されていますが、「日本軍の命令による組織的・意図的『殺害』があったとする明白な根拠はありません」と指摘、「日本軍の命令によるものとする根拠となる一次資料と裏付けをお示しください」と提言しています。

同様に「武器を捨てた兵士が殺害された」との記述には、「(中国軍は)一般市民のふりをして攻撃を仕掛けています。これは非戦闘員を巻き込む違法な戦闘行為であり、捕虜となる資格はなく戦争犯罪者として処罰される対象となります。このことも記載すべきと思いますが貴社の見解をお示しください」と提言しています。

これら提言は、山川出版社、東京書籍、帝国書院、清水書院、実教出版、教育出版、日本文教出版、第一学習社、学び舎の九社へ行われ、提言箇所は、少ない教科書で四か所、多い教科書で九か所にのぼっています。提言は連休明けに行われ、回答が注目されています。

横浜市の「かながわ県民センター」で四月二十七日から五月五日まで「第9回 戦争の加害パネル展」が開催されました。十三項目にわたる展示のひとつが「南京大虐殺」で、つぎのような質問と答が展示されました。

 1.「南京大虐殺は本当にあったのか」「はい」
 2.「いつ、どこで?」「南京市全域と、その近郊農村で」
 3.「一瞬で何十万人も殺害したのか」「いいえ、さまざまな殺害によって行われた」
 4.「なぜ大殺戮は行われた」「複数の要因によるもの」

 答はさらにつぎのように具体的に説明されています。

1では昭和二十九年に作成された岡村寧次大将の記録をあげています。しかし、岡村大将は南京戦を戦ったわけでありません。また、阿南惟幾少将の日記もあげていますが、日記は軍紀の乱れを記述しているものの、南京でのことや殺害を記述しているわけでありません。

2では、最近の研究で南京特別市でも起きていたことがわかった、と南京のまわりの六県でも殺戮が行われたとしています。しかし、この答も大虐殺を証明できなかったため、地域を広げ、そこで起きた戦争被害をすべて日本軍によるものとしているだけです。

3ではさまざまな殺害が行われたとして、捕捉した兵士の殺害などあげていますが、それらは戦闘によるものにすぎません。

4では要因として、残虐を推奨する兵士教育、サデズム、補給なしの強行軍、民族差別主義をあげています。しかし、それが要因なら南京以外でも大虐殺が起きていたはずです。 会場では中国映画「南京! 南京!」の上映もあり、四月二十七日の東京新聞ウエブ版、五月五日の神奈川新聞が紹介したことからか、若い人から老人までが見学しました。