南京攻略戦で第十六師団の歩兵第三十旅団長を務めた佐々木到一中将の伝記が発売になりました。著者は佐々木到一の縁者にあたる佐々木信雄で、アマゾンから一月に発売されました。
南京攻略にさいして佐々木旅団長は、真っ先に下関へ進んで中国軍を包囲殲滅し、南京陥落後は南京地区西部警備司令官に任ぜら敗残兵の掃討をしました。このことがあげられ佐々木旅団長は中国軍を不当に殺戮したとして非難されてきました。
佐々木到一は済南事件にあって中国軍の実態を、また満州国軍政部最高顧問として匪賊の実態を知るとともに多くの著述を残しており、著者の佐々木信雄はそれらを引用することによって、佐々木旅団長に対する非難が不当であることを示しています。
著者があげているのは戸部良一防衛大学教授、秦郁彦拓殖大学教授、洞冨雄早稲田大学教授の三氏です。戸部良一は、佐々木旅団長が戦闘意志を喪失した敗残兵を攻撃し、投降してきた捕虜を攻撃した。洞富雄は、佐々木旅団長が敗残兵と南京市民にとって恐ろしい疫病神であった。秦郁彦は、佐々木旅団長が多数の便衣兵を殺した功績を評価され栄転した。と記述しています。しかし、これら指摘はまったく間違いであることをあき明らかにしています。南京虐殺が研究家によって補強されていることがわかる本です。... 続きを読む
カテゴリー: 南京事件に関する情報
靖国神社で南京事件の啓蒙
一月三日、新しい歴史教科書をつくる会東京支部は靖国神社大鳥居前で歴史教育の訴えを行いました。恒例の活動で、今年は中学校教科書の南京事件の記述比較と、小学校教科書でも三社が南京事件を記述していることのチラシ配布も行いました。二十数名の会員が参加、そのさいのようなことがありました。
小学校五年生が配布しているところに来て、賛成であると話しました。お返しに会員が自由社の「新しい歴史教科書」をプレゼントしました。
オーストラリア人がやってきて、日本はインドなどを解放したといい、五千円を寄付しました。聞いてみるとインド系オーストラリア人でした。
四十代の中国女性と若い中国男性がきました。女性は南京出身で、子供のころ日本軍の話を聞いたが、日本軍が酷いという話を聞いたことはなかったと話しました。若い男性は歴史に関心がなさそうだったで、南京事件の写真といわれているものはどれも偽物だと説明しました。... 続きを読む
「慰霊」連載「あの戦争を振り返り戦没者の霊を慰する」が南京事件を記述
「大東亜戦争全戦没者慰霊団体協議会(安倍昭恵会長)」の機関誌「慰霊」が南京事件を取りあげました。
「慰霊」は「あの戦争を振り返り戦没者の霊を慰する」と題する昭和史を十四回にわたって連載しており、第63号(令和7年1月1日)で「いわゆる南京事件(その一)」として南京事件を取りあげたものです。著者は東京裁判研究者、元くらしき作陽大学教授の松元直歳氏です。
すでに盧溝橋事件以降の経緯が「盧溝橋事件から日支間全面戦争へ」として三回にわたり記述され、上海事変に続き南京事件が取りあげられましたが、 それによると、日本軍は南京攻略に当たり中国軍に降伏を勧告し、攻撃を行って入城する場合でも、外国権益などを保護するとともに、軍紀を厳粛にし、速やかに城内の治安を回復する、という方針が確認されました。
一方、中国側では首脳会議が開かれ、降伏でなく、徹底抗戦することが決められます。しかし、会議後、防衛司令官に任命された唐生智を除く首脳は南京を脱出、徹底抗戦を決めながら首脳が南京を離れるという矛盾した言動が取られました。それとともに、中国軍は伝統である堅壁清野作戦を行い、南京城のまわりの村を焼きはらい、住民は村を離れざるをえませんでした。
今回はここまでの記述で、次回が待たれます。... 続きを読む
南京市で和服姿に賛否両論
十二月、南京で若い女性が和服を着て自撮りしていたことに対し、十二月十三日が南京事件の犠牲者を追悼する日に当たることから歴史を尊重しない態度であると批判する意見と、和服を着ようが個人の自由ではないかという意見が出て話題になりました。
ただし、それは城内にある鶏鳴寺での十三日の出来事で、警備員や行政ホットラインに知らせがいったという話と、城外の中山植物園での二十二日の出来事で、自撮りする女性をとそれを見ていた老人との言い合いになり、それを撮影した市民がSNSに投稿したという話があり、おなじものかどうかわかりません。
寺で着物を着たことは二〇二三年三月にも話題となっています。... 続きを読む
「琉球新報」が南京事件の反省を主張
南京が陥落した十二月十三日、「琉球新報」は「社説」で南京事件を取りあげ、多数の中国人を虐殺した歴史を語り継がなければならないと主張しました。そのうえ、歴史には前史があり、前夜もあり、民間港湾や空港、公道を大っぴらに使用している日米軍事演習や自衛隊基地の拡張は前夜か前史ではないかといっています。
今年は南京戦から八十七年で、区切りの年でもなく、南京戦について記録が発掘されたわけでもありません。「琉球新報」は前日の12日から「戦世ぬ沖縄 戦後80年」として県民からの話を掲載していますが、戦後八十年を迎えようとして戦争体験者はほとんどおらず、また聞きの話が語られるだけです。この日も「南京戦 記憶語らず」「聞けなかった 南京の体験」と第一面と第二十三面でのせていますが、南京事件や虐殺が語られているわけでありません。
南京事件にちなんで主張するなら、中国にいる日本人児童の安全が危惧されているいま、中国が南京事件を煽っていることでしょう。紙上で語られていることは子供だましであり、自衛隊基地拡張の批判などと併せ中国に迎合しているだけです。... 続きを読む