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 令和7年12月13日は南京陥落から88年目にあたり、中国は南京事件の宣伝につとめています。
 11月30日、南京虐殺祈念館で犠牲者家族による祭祀活動が行われました。祈念館のなかに犠牲者名の刻まれた「嘆きの壁」があり、遭遇者、遺族、青少年ボランティアが献花し、中国の墓参りの習わしである遺族が犠牲者の名前をペンでなぞる儀式が行われました。南京事件に遭遇しながら生存している人は24人ということです。
 しかし、昭和20年11月、中華民国が南京事件を調べたとき、「冬の蝉のごとく口を噤みて語らざる者、あるいは事実を否認する者」などで調査は困難だったと報告されています。中華人民共和国になってからの遭遇者についてはイアン・ブルマが「戦争の記憶」にこう書ています。
 「(昭和57年の教科書事件ののち)南京の生存者が中国政府によって選ばれ、おおやけの場で体験を語るようになったのである。それまでは中国政府は彼らを気にも留めていなかった」
 生存者といってもこのようなひとたちです。
 12月5日、「2025年新規収集文物史料発表会」が行われました。南京事件に関する史料収集はいまも行われ、今年は573点見つかったということです。そのなかに第13師団砲兵第19連隊の山川儀仁の書簡と、第5師団歩兵41連隊の村田芳夫の書簡がありました。後者は昭和13年1月8日に上海から父へ送った手紙で、「南京には面白い死刑桟橋があり、毎日、支那敗残兵または傷病兵を日本刀で殺し、射殺しています。死体は全部揚子江に流していて痛快です」と書かれており、展示されると中国人から怒りが起きました。
 歩兵41連隊は揚子江左岸を南京に向かい、12月13日、南京の中州に上陸します。中州には右岸の戦闘から逃れてきた中国兵と右岸で釈放された中国兵がおり、41連隊へ攻撃してきた中国兵には反撃し、降伏してきた中国兵は釈放しました。連隊は1週間ほど南京城外にとどまり、この間、難民区に逃れた敗残兵が揚子江岸で処断されており、それを手紙は書いたのでしょう。敗残兵が処断されたことはすでに知られており、戦闘行為であって虐殺の証拠でありません。この史料は南京事件研究家の渡辺久志が持っていて提供したということです。
 また、12月10日、CGTN JAPANは、「南京大虐殺から88年『歴史の直視が平和への第一歩』と日本人若手研究者・青山英明氏」と題し、南京大学歴史学院で学び『一帯一路日本研究センター』ジュニアヘローである青山氏が南京事件は12月から1月にかけ組織的・計画的に行われた非人道行為であると語ったと報じています。

 今年の第8回アパ日本再興大賞優秀賞に阿羅健一氏の「決定版 南京事件はなかった 目覚めよ外務省!」が選ばれましたが、12月3日の産経新聞「正論」欄で小堀桂一郎東京大学名誉教授がこの本を取りあげました。
 小堀桂一郎東京大学名誉教授はこのように分析ています。
 「(南京事件)は蒋介石政権による謀略宣伝の産物であって、要するに実態は無いとの認識はかなり普及していたのだが、唯外務省だけがそれを日本の大勢であると言い切る勇気を持たなかった」
 南京事件といわれているものは宣伝で、そういったものが日本で認められたのは外務省の姿勢にある、と指摘しています。
 また「決定版 南京事件はなかった 目覚めよ外務省!」に対しつぎのような期待を寄せています。
 「日本語を読みこなせる中国人の数は内外合わせて相当数在ると推測できる。その人々が受賞の話題性に惹かれて本書を繙くとすれば習主席が77年という歳月を遡って南京事件の亡霊を叩き起こし、己の政治的欲求の一端を満たすための道具として利用しようとした事の愚かさと醜さを判然と認識できるであろう」
 小堀桂一郎東京大学名誉教授は昭和61年に「新編日本史」の編纂と関り、「新編日本史」は検定通過したにもかかわらず、外務省から圧力をかけられました。そういった経験を小堀名誉教授は持っており、重みのある言葉といえるでしょう。

 展示の更新が進められている長崎原爆資料館は年表に「多数の民間人や捕虜を殺害する南京事件」と記述して展示する予定でいると「長崎新聞」が伝えていましたが、それに対して11月14日「世界に伝わる原爆展示を求める長崎市民の会」が現在の「大虐殺」という表記を維持するよう求め、19日に開かれた同館審議会では委員のひとりから「南京事件は起きていない。展示には出さないでほしい」との意見が出されたと伝えています。
 南京事件が東京裁判に持ちだされたのはアメリカの原爆投下を隠すためともいわれてきました。実際、原爆開発が行われたアメリカのロスアラモスにある「サイエンス・ミュージアム」には「”南京大虐殺” 日本軍、首都占領後に暴虐行為に集中」と記述された年表が展示され、南京事件がその年の一番か二番かの大事件として扱われており、アメリカの思いが裏書きされているとわかります。すでに南京事件は戦時宣伝であると明らかになっており、年表に記述すること自体が間違っているのはいうまでもありません。
 「大虐殺」という表記を求めている団体は「アジアの人々から日本による侵略戦争の負の歴史を直視していないと受け止められる」と指摘し、さきほどと違う審議会の委員は「消してしまうと、世界の人は知っているのに、日本だけは隠しているということになる」と指摘しています。どちらもイデオロギーにとらわれた見方で、これでは展示を見て原爆の悲劇を心から受け止めるひとはいないでしょう。

 10月27日、オンライン百科辞典のグロッキペデイアが公開されました。イーロン・マスク氏が、インターネット百科事典のウイキペディアはリベラルに偏っているとし、2023年にxAIを設立、開発してきた公開サイトです。ウイキペディアは一般の人でも編集にかかわることができますが、グロッキペデイアは自動AIが編集し、一般の人が書きこむことはできません。しかし、誤った記述に対する提案を受けいれるとしています。
 グロッキペディアで南京事件を検索すると、日本軍が南京で4万人から20万人を虐殺した事件と認定し、南京事件の死者数推計についてジャン・ルイマル・ゴラン、笠原十九司、デビッド・アスキュー各氏の研究を引用しています。ちなみにウイキペディアは10万人から20万人を虐殺した事件と認定し、ともに歴史事実としています。
 ほかに共通していることは、南京攻略戦当時の日中の宣伝を取りあげていないこと、おもに東京裁判の記録とアメリカ宣教師の記録を引用していることがあげられます。また、南京戦が始まるまえアメリカ宣教師が中国軍支援を決議していたことや、宣教師ベイツが欧米の記者へ渡したメモが南京事件の報道となったことなど比較的最近の研究がまったく欠けています。また、仕方ないことかもしれませんが、英文や英訳された資料に寄りかかり、そういった資料を羅列するにとどまり、正しい判断ができていないことも共通しています。
 グロッキペデイアは南京事件に関し「依然として情報源の信頼性問題に陥っており、左派の学術的傾向が相互検証データよりも被害者側の統計を無批判に採用する傾向も含まれている」と指摘していますが、的外れな記述もたくさんあり、まだまだといえるでしょう。

 日本が突きつけられている歴史問題を研究している国際歴史論戦研究所のホームページに顧問の阿羅健一氏による「戦後80年の南京プロパガンダ」が掲載されました。10月26日、阿羅氏は南京事件を取りあげて次のように主張しています。
 昭和57年に外務省が南京事件を認めたのは日本政府のことなかれ主義によるものでしたが、40年以上経った現在、南京事件は中国人が中国にいる日本人を襲う大義名分となり、台湾有事を予想した情報戦の武器として使われています。元麻布にある中国大使館は映画「南京写真館」が記録的な大入りとなったことを宣伝するだけでなく、百五十人の日本人を招いて試写会を開いています。また、そういった中国大使館の情報戦に琉球日報やTBSが協力しています。外務省はホームページの南京事件に根拠がないと認めたものの、依然としてそのままにしており、早急にホームページを抹消するなどしないと中国は現在の行動をますますエスカレートさせるでしょう。
 このように阿羅氏は説明し、ただちにホームページを抹消するよう求めています。