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 5月26日、新しい歴史教科書をつくる会鳥取県支部主催で倉吉市の倉吉体育文化会館において西村幸祐氏をお招きして講演会<河村たかし名古屋市長の発言を受けて-南京事件を検証する->が開催されました。

 聴衆の大方は南京事件が虚構であることを認識していることも有り、西村氏の話はもっぱら河村発言の周辺事情やメディアの対応についてでした。

 また、「南京の真実国民運動」が意見広告を出そうとし、それを中日新聞が拒否したことを引き合いに日本のメディアが如何に偏りかつ真実を報告してこなかったかを説明されました。

 河村発言を日本のメディアが大騒ぎしているが、なにも今始まったことではなく去年の夏から南京の市長との間でやり取りされていたこと、それをことさら大騒ぎした為、南京市も対抗上姉妹都市取り止めなどと言わざる得なかったというのが実情であるということもお話されました。

 偏向したマスメディアによる、この閉ざされた言語空間は3・11によって、明らかに変わったと指摘し、またITの普及により、テレビ・新聞の影響を受けない若者を輩出している。そこから日本は変わるのではないか、とのお話でした。


 5月26日、東京都国立市・国立商協ビルさくらホール溝口郁夫氏を講師にお招きして講演会 南京大虐殺の「ニセ写真」を徹底的に暴く>(主催:新しい歴史教科書をつくる会 東京三多摩支部)が開催されました。


 河村たかし名古屋市長発言に端を発し、南京虐殺問題を「すでに政治的に決着した」「歴史的事実として固定化しよう」としてきた中国政府は、科学的検証の自信がないまま、政府報道官はただ説得力のない“表層的抗議”を日本政府にぶつけるだけであった。

 つくる会東京三多摩支部は、
河村発言を契機に捏造写真を徹底的に暴く講演会を企画した。その要点を下記に紹介する。


 当時(昭和12年12月)、日本軍は国民党(蒋介石政権)政府軍へ12月9日降伏勧告(10日期限)、抗戦を決意した中国軍に対し攻略を開始。当時の南京市人口は20万人(公式記録有り)、それも白人で組織する「安全地帯国際委員会」が管理する安全地帯に集中していた。

 つまり安全地帯の外側はほぼ無人地帯であった。

 中国軍の指揮官・唐生智が自軍を置き去りにして逃亡(12日午後8時)した話は余りに有名だが、指揮官不在の中国軍は大混乱となり、混乱の最中、城門内外で多くの中国軍兵士たちが戦闘で亡くなった。

12月13日 払暁、南京陥落。日本軍の城内進出が始まった。

12月14~16日 城内および安全地帯の掃討を実施。12月17日が入城式。
12月18日には松井大将らが中心となり戦闘で亡くなった日本軍、中国軍兵士を弔う慰霊祭を荘重に挙行。

 この模様はフィルムに記録として保存されている。
12月24日には兵民分離により、民間人には安居証が発行された。

 入城式も慰霊祭も兵民分離も、
オープンなかたちで粛々堂々と行われた。

 翌年1月1日には、自治委員会が発足、日本軍はこれを支援し、
餓死者を出すこともなく市民生活は安定した。

 そして2月上旬には戦闘で亡くなった死体の埋葬を本格的に開始、
3月末頃にはほぼ終了した。

 その処理死体数が水増しを含めて4万余といわれている。

 この整然と行われた一連の戦争処理が、いつの間にか日本軍の大虐殺として喧伝されたのである。原因は

①国民党・宣伝処による巧妙かつ伝統的な宣伝工作
②欧米人記者による検証なき捏造情報の報道、拡散→一挙に世界中に喧伝された。
③ベイツ(南京大学教授、宣教師)による虚偽の「ベイツメモ」、これが記者に手渡され、これ幸いに米国の新聞に掲載され各国にも伝わった。ベイツは宣伝処顧問、つまり国民党政府から報酬を貰う身分だった。政府に忠勤を励むのは道理である。

 南京虐殺とは、ベイツメモが事の発端となり、虚偽情報が次第に拡散、拡大され、いつの間にか4万、10万、30万虐殺・・となり、政治的に虚偽数字が固定化された。

 1939年には『南京安全地帯の記録』が発行されたが、日本「
南京」学会の調査分析によって、記録の殆どが“伝聞”情報で固められ、第一級史料とはなり得ないことも検証された。

 これが伝聞記録暴露の第一級史料となったのは、
パラドクスともいえる結果となった。

 つまり南京虐殺がなかったことは既に“
学問的には決着がついている”のである。

 その事実は日本「南京」
学会発行の図書にあますところなく記録されている。

 今後の課題は悪魔による意図的な虚偽情報の流布(
国際ネットワーク)をどう打ち砕くかにある。

 捏造写真のオンパレードは枚挙に暇がない。代表的な写真の分類は、爆撃、生き埋め、殺傷、死体、レイプ、略奪・・だが、どれも紹介するのがバカらしいほど幼稚である。

 捏造天才国家・中国ならではの写真ではあるが、それを中国同様、
平気で使用する欧米諸国の文明度も、中国並ということになる。

 このように、
南京事件の流れは極めて明快で坦々としたものであったが、その狭間に、巧妙にも“虐殺”という虚偽情報の弾丸を打ち込まれ、未だ抜き取ることができず苦しんでいるのが、日本の悲しい現状である。

 検証は十分以上にできている。

 河村市長には、堂々と日本側の正当な主張を展開いただき、同時に国民の側は全国的に河村市長を支援しなければならない。

 南京事件は、
日本を巡る近代の歴史が総合的に詰め込まれた特殊性を有している。歴史の回復のためにも、ぜひとも南京問題を正確かつ慎重に把握することが求められている

 南京虐殺写真の殆ど総てが捏造と断言してもよい。


 写真は、南京市内の“平和”
な光景が、虐殺がなかったことを静かに証明している。


        

 5月19日、名古屋市で<自由な議論で「南京」の真実を究明しよう!公開討論会>(主催:南京事件を自由に議論する議員有志の会)が開催されました。

 司会は山本久樹名古屋市議(民主)。冒頭に、この討論会を催した趣旨と今日までの経緯を藤沢ただまさ<有志の会発起人代表・名古屋市議(自民)>から報告、続いて河村たかし市長からの挨拶がありました。

 ここから討論。
1.「南京事件」について
2.南京事件はなぜ議論できないのか
3.なぜ今回”あった派”に来てもらえなかったのか
4.『中日新聞』意見広告拒否事件について
5.今後の姉妹・友好都市の進め方について

の各テーマで、出席者から次々と発言がありました。その後、質疑応答、最後に河村市長から総括があり、終了となりました。

 一般聴衆者は約300名、また報道関連ではメーテレなどテレビカメラも複数入るなど、この一連の騒動の中心地であるだけに、大変注目を集めたようです。

 本討論会の登壇者、来賓でお越しの国会・地方議員の方々、そして祝電をいただいた方は次の通りです。
(敬称略) 

●登壇者
河村たかし(名古屋市長)

●討論会・パネリスト
藤岡信勝(新しい歴史教科書をつくる会 教科書企画編集委員長)
藤沢忠将(名古屋市議会議員・自民党名古屋市議団幹事長)
桜井治幸(名古屋市政功労者・元名古屋市議会議員)

※なお、パネリストとして山口清明氏(名古屋市議会議員・日本共産党)が出席予定でしたが、党本部の指示で欠席されました。

●来賓議員
★衆議院議員
佐藤夕子(減税日本)

★名古屋市議会議員
余語さやか(減税日本ナゴヤ)    
舟橋たけし(減税日本新政会) 
大村光子(減税日本ナゴヤ)
さいとう実咲(減税日本ナゴヤ)
かたぎりえいこ(減税日本ナゴヤ)
田山ひろゆき(減税日本ナゴヤ、副議長)
園田晴夫(減税日本ナゴヤ)
うさみいく愛(減税日本ナゴヤ)
黒川慶一(減税日本ナゴヤ)
東郷哲也(自由民主党)

★市外からご出席の地方議員
鈴木まさと(無所属 埼玉県議)
柳沢英希(無所属 高浜市議)
沓名宏(無所属 碧南市議)

●祝電
上田清司(埼玉県知事)
また、討論会の様子がYouTubeにアップされておりますので、御覧ください。(9分割となっております。以下はその一つ目です)


      

 4月29日、大洗町文化センターで開催された新しい歴史教科書をつくる会の茨城県支部総会において、一般の人も交えた講演会が行われました。講演会では新しい歴史教科書をつくる会の杉原誠四郎会長が「『南京虐殺』は虚構、河村発言を支持する」といった表題で講演し、南京問題をはじめ公民教科書のあり方にも話が及びました。

 参加人数は約70人で、萩津和良議員、下路健次郎議員、星田こうじ議員、石井邦一議員、矢崎光議員、田所よしのり議員の6名の茨城県議会議員も出席しました。


     

 4月22日日曜日午前9時より、新しい歴史教科書をつくる会東京支部・三多摩支部主催で靖国神社春季例大祭・街宣活動を行われました。

 雨の中、約500枚のパンフレットを配布と署名活動を同時に行い、多くの方からご署名いただけました。

 配布した国民運動のパンフレットは下記URLからダウンロードできます。http://www.tsukurukai.com/_src/sc913/nankinpamphlet.pdf

※街頭や集会等でパンフレットを配布いただける方は必要枚数を事務局までご連絡いただければお送りさせていただきます。