コンテンツへスキップ

 13年前に石原慎太郎衆議院議員と河村名古屋市長が記者会見し、南京事件を否定しましたが、8月7日、その動画がアップされました。
 すると、翌8日午前11時、本田圭祐選手が「僕もそう信じている」と投稿しました。
 ところが翌9日午後4時、本田圭祐選手は「石原さんのことが好きなこともあり、歴史ことは知ってたつもりだったものの、希望的コメントをしました。ただ一次資料などを詳しく調べたら事実はほぼ歴史通りであると思いました。この点、僕の間違いでした」と投稿しました。
 これに対し多くの疑問が出されました。1日たらずで多くの資料が出されたことへの疑問。それを読んで理解したのかとの疑問。このような結論を出すためもともと仕組んでいたのではないかという見方もあります。
 10日、前参議院議員の浜田聡氏が本田選手の投稿に関し4点の問題点をあげました。とくに強調したことは日本軍が虐殺命令を出した公文書があるかどうかについてで、浜田氏は先の通常国会で質問主意書を提出しましたが、命令が出されたと明示する公式文書を政府は示さなかったということです。
 なお、本田圭祐選手は11点ほど資料をあげましたが、「朝香宮鳩彦王の日記」と田中正明編「南京事件 陸軍将校の手記」という資料はもともとありません。

 6月6日に河村たかし議員が政府は南京事件が本当にあったと考えているかと質問主意書を提出すると、17日に政府は南京事件は否定できないと回答しました。そこで18日、初鹿野裕樹氏はXへつぎのように投稿しました。
 「南京大虐殺が本当にあったと信じている人がまだいるとのかと思うと残念でならない。日本軍は『焼くな、犯すな、殺すな』の三戒を遵守した世界一紳士な軍隊である」
 このとき特に反応はなく、7月20日初鹿野氏は参議院選挙神奈川選挙区で参政党から当選します。ところが29日夕方、とつぜん初鹿野議員の意見に対しXで批判が出はじめ、30日昼には立憲民主党の有田芳生議員も「歴史の修正とか改ざんのレベルではありません。それ以前。ただ恥ずべき広大な無知。からっぽ」「これが国会議員。これが日本。協同して抗うしかありません」と批判しました。
 それに対して8月2日、初鹿野議員は神谷宗幣議員と藤岡信勝「新しい歴史教科書をつくる会」顧問と鼎談してそれらに反論しました。
 鼎談は8日にYouTubeへアップされました。神谷議員は南京事件の外務省ホームページに関して三度も質問主意書を提出し、初鹿野議員は鼎談での発言からわかるように南京事件に関する知識を十分持ち合わせています。そのうえで専門家の藤岡氏が、南京市民の人口は日本軍の攻略の前も後も変わっていないこと、宣教師ベイツの宣伝が南京事件として広まったことなど南京事件といわれているものを明快に説明しました。

 戦後80年目の8月15日迎えて昭和史が相次いで話題になっていますが、10日付産経新聞の「サンデー正論」は、南京大虐殺は中国による歴史の歪曲であり、そのことを日本は堂々と主張すべきである、と喝破しています。
 執筆者は特別記者有元隆志氏で、このなかで有元氏は中国で公開された中国製作映画「南京照相館」を例にあげています。映画のあらすじは南京が陥落したさい日本軍が撮った16枚の虐殺写真を南京市民が持ち出すというもので、その写真は昭和22年に南京で開かれた軍事法廷に虐殺の証拠として提出され、平成27年に南京事件がユネスコ世界遺産に登録されたさいの資料にも含まれていました。しかし、日本軍に写真撮影する部署はなく、16枚の写真には夏の格好の写真が何枚もあり、虐殺の証拠でないとたびたび反論されてきました。それが80年目に合わせて映画化され、大ヒットし、8月7日にはオーストラリアとニュージーランドで公開され、アメリカ、ロシア、韓国でも公開が予想されています。
 「サンデー正論」は、日本は中国の反日情報戦に立ち向かい、自信を持って世界に主張していくことを強く訴えています。

 評論家の橋本琴絵さんは7月30日に「新大東亜戦争肯定論」(ワック 1700円)を上梓、そのなかで南京事件を取りあげています。
 橋本さんは、虐殺というものは戦闘に無関係な民間人を理不尽に殺す行為で、よく南京大虐殺などと表現されますが、それはふさわしくないとし3つの理由をあげています。
 1つは、南京は戦場であるから戦死体があり、流れ弾で死んだ民間人もあり、沖縄戦を沖縄大虐殺とか東京大空襲を東京大虐殺と表記しないように、南京大虐殺ではなく南京戦と表記すべきで、そうしなければ道理が通りません。
 2つめは、捕虜として保護されるにはハーグ陸戦条約の決まりがあり、中国では作物の収穫をしていた農民が隠しもっていた手榴弾を投げつけ日本兵に死傷者の出ることがあり、そのような農民は便衣兵とみなされ捕虜の保護は受けられません。また中国兵も民間人を殺して衣服を剥ぎとり、市民に紛れこみますが、彼らも捕虜の保護を受けられません。
 3つめは、南京には死体がありましたが、民間人である公的身分証明のある死体は誰一人確認されていません。
 このような理由をあげ南京での虐殺を否定しており、南京大虐殺の表現はふさわしくないとしています。
 当時の中国軍の実態についても詳しい解説をXに投稿しており、それらは10万台の再生回数にのぼっています。

 南京攻略戦のさい百人斬り競争をしたとして南京軍事法廷で死刑の判決を受けた向井敏明少尉の長女向井恵美子さんが亡くなりました。89歳でした。
 向井敏明少尉は昭和22年1月28日に南京で銃殺されますが、向井恵美子さんは母親を亡くしたばかりのところに父を失い、厳しい幼少期を過ごさざるを得ませんでした。そのころの向井恵美子さんのことは鈴木明が「『南京大虐殺』のまぼろし」に、また向井恵美子さん自身が「汚名」に綴っています。向井恵美子さんはアメリカ軍人と結婚してアメリカに渡り、日本と再び深い関係を持つのは、30年が経ち、百人斬り競争を報道した毎日新聞や本多勝一朝日新聞記者などを名誉棄損で訴えたときです。平成16年に陳述のため来日しますが、向井恵美子さんを驚かせたのは日本がすっかり変わっていたことでした。陳述が終わってアメリカに戻った恵美子さんは、日本滞在中知り合ったひとにその思いを手紙にします。取材で知り合った「WiLL」編集長だった花田紀凱さんもそのひとりで、たびたび長文の手紙を送り、日本を心配する恵美子さんの気持ちがどれほどかわかります。
 陳述のため来日したとき向井恵美子さんは七十代に入っていましたが、同世代の日本女性にはめずらしく長身で、目鼻立ちのはっきりした容貌は衰えを見せず、打てば響くような会話からは頭脳明晰であることがよくわかります。もし父親が存命であれば、どれほど社会で飛躍しただろうかと思わせる人でした。
 延命処置を拒否して亡くなりました。恵美子さんが滞在中に知り合った楠峰光さんは、恵美子さんの知識欲に応えようと月刊誌「正論」を送りつづけており、「長い間の正論もありがとうございました。どうか止めてください」というのが恵美子さんからの最後の手紙でした。