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 習近平国家主席が南京事件を取りあげ日本を非難した。
 
 三月二十八日、親善のためドイツを訪れた際、講演会で、日本による戦争の犠牲者を話題にし、南京事件を取りあげた。そこで、日本を非難するとともに、当時、南京にいて南京市民の保護に当たったドイツ人ラーベを称えた。
 中華人民共和国の国家元首が南京事件を取りあげたのは江沢民に次いで二人目となるが、海外で取りあげたのは初めてである。昨年暮れの安倍首相の靖国神社参拝以来、中華人民共和国の外交官は任地のメディアを使い日本批判を繰り返してきたが、その延長線上にあるもので、しかも国家主席による最大の日本批判といえよう。
言うまでもなく南京事件は単なる戦時宣伝であるが、それが事実と化し、とうとう国家元首が外国で口にするまでになったと考えるなら、日本は褌を締めなおして南京事件に取りくまなければならない。
 しかし、習近平が言っていることは新しいことがなにもない。
なぜドイツで取りあげたのかは明らかだ。ユダヤ人殲滅を目的としたホロコーストに対しドイツは謝罪したが、それにひきかえ反省しない日本を批判するとともに、南京事件をホロコーストと同じものと思わせる。ラーベは日記をつけていて、平成八年に公刊された。それ以来、ラーベは南京のシンドラーだったなどと表現されることもある。それらをほめ称えることでドイツと中華人民共和国が友好関係にあることを訴えようとしている。これらがドイツで取りあげた理由なのだろう。
 しかし、ホロコーストは事実だが、南京事件は戦時宣伝であり事実ではない。日本が謝罪する必要はまったくない。
 また、ラーベについては国家元首が言及するような人物ではない。
 南京が陥落した翌年の一月、ラーベは上海のドイツ領事館に電報を送り、そこに南京では二万人が強姦されたと書き、東京裁判が開廷されたとき、その電報が提出された。
二万人とした根拠は電報に示されず、ラーベが出廷したわけでもないため、数字の根拠は明らかにされなかったが、それが根拠となり、しかもそれだけで、南京では二万人の強姦があったと判決された。
 ラーベ日記が公表されるとき、ラーベが二万人とした根拠が記述されているのではないかと考えられたが、示されていなかった。二万人強姦説はほかの資料によってすでに崩れていたが、やはりデマだったのである。
 ラーベは歴史を歪曲した一人なのである。
 日記の公開はラーベの反日の姿勢を明らかにすることにもなった。日記によれば、ラーベは中華民国の高級将校たちを匿うなど、日本に敵対する行動を取っていたのである。
 そのラーベは、日本が南京を攻略したとき、ドイツの企業シーメンス社の南京での責任者だった。煉瓦造りの二階建てを住まい兼事務所として使っていて、そこに難民を収容した。この建物は、戦後、南京大学のものとして使われていたが、平成十二年になりドイツの協力でラーベ記念館に改修されることになった。南京事件があったとされてから六十八年も経っていたが、中華人民共和国は日本攻撃の材料としてこの建物の価値に気づき、ドイツに持ちかけたのだろう。
 ドイツ大統領は、どこまで理解しているのか、南京を訪れたとき、ラーベに助けられたと称する人と会った。そういった写真などがラーベ記念館に展示されている。ラーベ記念館は、いわばもうひとつの南京虐殺記念館である。ラーベの日記は南京事件を証拠だてるものでなかったが、ラーベは中華人民共和国の日本攻撃の材料に使われてきたのである。
 習近平のドイツでの発言は、このような経緯のもとで行われたものだ。それにしても、このようなラーベとその日記に国家元首が言及せざるをえないとは、改めて南京事件が戦時宣伝であることを示しているといえよう。
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