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野田毅少尉の遺品が靖国神社に献納

 

1月28日、百人斬り競争で知られる野田毅少尉の遺品が靖国神社遊就館に献納された。軍服、勲章、寄せ書き、刀、軍隊手帳など数十点に及んだ。

 

軍服は、敗戦を迎えたとき着用していたものが中心で、少佐を示す襟章のついた航空兵の軍服や飛行服などである。ほかに航空兵に転科するまえの軍服などもあり、併せると十着ほどになる。勲章は金鵄勲章、旭日章、ビルマ勲章など。寄せ書きは日の丸への寄せ書きがほとんどで、支那事変が始まって北支に出征するときのものや広東攻略戦に向かうときのものなど十点余り。「毅兄へ 祝報國百人斬」と書かれた寄せ書きもある。刀は軍刀拵えと白鞘の二振り。

 

軍服はどれも高価なもので、敗戦直後の食糧事情が厳しいとき物々交換され消えてしまうのが普通だったが、保存されてきた。なかにはクジラのひげで作ったといわれる白い背広もある。野田毅はなかなかのハンサムで、おしゃれでもあったようだ。

 

また、夏用の軍服は、敗戦後も着用していて、昭和22年8月に連行されるとき着ていた。南京で処刑後、同房の日本人が持ち帰ったものである。

 

70年という長い年月が経っても残ったのは実妹のマサさんが丁寧に保管してきたからである。虫干しを欠かさず、防虫剤を入れ、注意を怠らなかった。虚報により処刑され、さらには捕虜斬りとまで貶められ、その兄の気持ちを思うと、残さなければと思ったのだろう。マサさんは86歳という高齢のため保存がおぼつかなくなり、献納することになったのだが「これでホッとしました」と言う。

 

野田少尉の遺品としては、このほか陣中日誌、アルバム、資料なども保管されてきて数十点に及ぶが、これらは防衛省の戦史研究センターに寄贈された。軍事史の研究という観点から遊就館と分けられたのだが、戦史研究センターに寄贈されたものには「ビルマ軍義成訓練 教宣本」「ビルマ独立義勇軍 秘話」「ビルマの太陽」などがあり、日本軍のビルマ独立工作がさらに明らかになるだろう。

 

靖国神社には二振りの刀が献納されたが、敗戦となったとき野田家には四振りがあった。GHQ(占領軍)から提出するよう命令が出されたため、一振りを提出し、三振りが残った。そのうち一振りをもう一人の妹が形見にもらい、野田家を継いだマサさんの手元に二振りが残った。このうち軍刀拵えは戦場に持っていったものである。

 

軍刀といえば、台北にある国軍歴史文物館には野田少尉が百人斬りの際使用した軍刀というものが展示され、南京の虐殺記念館には野田少尉と向井敏明少尉が百人斬りで使用した刀のレプリカが展示されている。マサさんは言う。

 

「兄の軍刀は押収されていません。兄の軍刀が展示されているというのでまったく驚きました」

 

野田少尉の軍刀が遊就館に展示されるなら、百人斬り競争が虚構であることはあらためてはっきりするであろう。

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