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記録映画「南京」の欠損部分が判明

支那事変が始まった昭和十二年夏、東宝映画文化映画部は上海に渡って撮影を行い、記録映画「上海」を製作した。引きつづき「南京」が製作されることとなり、陥落直後から昭和十三年一月にかけ南京で撮影され、四月に公開された。
このうち「上海」はいまでも見ることができるが、「南京」のほうは欠けたものしか見ることができなかった。ところが欠けていた一巻十一分がアメリカにあり、一昨年、「You Tube」で公開された。今年に入り「日本文化チャンネル桜」でそのことが紹介され、欠けていた部分は「電脳 日本の歴史研究会」で手軽に見られるようになった。
「南京」の全容が再び人々の目に触れるようになるまでには紆余曲折がある。
戦後、「南京」が注目されたのは、教科書誤報事件が起きて南京事件が話題となったときである。誤報事件をきっかけに、どのような南京の姿が映しだされているのか、虐殺の片鱗はうかがえるのか、注目されだしたからである。しかし、フィルムは戦災で焼失して、見ることはできなかった。
公開された当時の映画評や撮影に当たった白井茂の話などから、東京裁判のいうような虐殺が記録されているわけでないことは知られていたが、百聞は一見に如かずである。ほかに保存されているのではないかともいわれたが、やはりどこにもなかった。
それから十数年して、八巻からなるフィルムのうち七巻分が中国にあることがわかり、平成七年、ビデオとして日本で発売された。
こうして製作から五十七年ぶりに見られるようになったのだが、そこに映しだされているのは、南京城内の戦闘の跡、十二月十七日に行われた入城式、十八日の慰霊祭などで、実写ではないが中華門を攻撃する様子も再現されていた。また、二十一日に日本軍が新配置されてからは、平民分離と良民証配布、復旧していく難民区、正月の準備を進める日本兵、元日の南京自治委員会の発足などが紹介され、新しい任務のため南京城から行軍していく日本兵の場面で終わっている。
撮影された当時は報道規制があって残酷な場面の撮影は許されなかったが、それを考慮しても、東京裁判や朝日新聞の言う南京とは似つかぬ南京の姿で、フィルムの出現は南京事件が虚構であることを改めて示した。
今回、そこに欠けていた一巻分が明らかになったのだが、その十一分には、南京城と紫禁山が俯瞰的に映しだされ、外交部、軍官学校など城内の主な建物が残り、孫文を祀った中山陵も無傷のままであることが映しだされている。また城壁から城外にかけ、高射砲が配置され、防空壕が掘られ、城内には土嚢が積まれてあくまで中国軍は抗戦するつもりであったことも紹介されている。
これまで知られていたことと変わりなかったのだが、新たな発見もあった。
支那事変が起こると南京でも親日中国人の逮捕処刑が始まるが、ナレーションは「住民を戦慄せしめた漢奸狩りのポスター」「ときには何千人もの死刑が執行されたという」と述べている。
南京は、南京戦が始まる前から、考えられる以上に混乱した街だったことが明らかになった。

4 thoughts on “記録映画「南京」の欠損部分が判明

  1. 自由人@タイランド

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    はじめまして(^O^)書き手の人柄が、とってもよく伝わってくるいいブログですね。時間があるときにまたきます。こちらのブログにもいらしてください!

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  2. しいな♡

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    おじゃまします☆ブログ楽しく読ませて頂きましたO(≧∇≦)O いろんな人とアメブロでなかよしになれたら嬉しいな嬉しいな☆またお邪魔しますね♪Blog楽しみにしてますよ~!! たま~に私のBlogにも遊びに来てくれると嬉しいな☆ヾ(o´∀`o)ノ それではまたね~♪

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  3. あずさ

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    楽しく読ませてもらいましたー!
    表現方法が独特で文章に雰囲気がありますねっ!素敵です♪
    私もブログ書いてるので(下手ですが…)よければ遊びに来てください。

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