高池勝彦(新しい歴史教科書をつくる会副会長)
平成二十四年二月二十日の河村たかし名古屋市長の発言に対し、内外から不当な圧力がかけられたので、「河村発言を支持し『南京』の真実を究明する国民運動(略称「南京の真実国民運動」)」は、三月二十二日、中日新聞に意見広告の掲載を申し込んだ。
これは、河村市長の地元で独占的なシェアを持つ中日新聞に、現職の衆参国会議員の賛同者名を並べて、自由な議論で「南京」の真実究明を求めようといふ趣旨の意見広告で、極めて公平な内容のものであつた。
「国民運動」は、S社といふ広告代理店を通じて、中日新聞に意見広告を申し込んだのであるが、中日新聞では、中日新聞側のT社といふ広告代理店を通してもらひたいとのことで、二つの広告代理店の間で交渉が進められた。T社は、中日新聞東京本社ビルの中ある中日新聞の百パーセント子会社であり、役員の多くも中日新聞からの出向である。
四月十日、見本ゲラを中日新聞に送つたが、中々諾否の返事が来なかつたので回答を催促したところ、四月十七日、T社より掲載の可否について近々返事を出すとの回答があり、十九日、中日新聞から了解の返答があつたとの回答があつた。その際、T社から広告の若干のデザインの変更と国会議員名を掲載することについて公職選挙法に抵触しないかの調査の依頼があつた。
四月二十五日、「国民運動」の責任者とS社との間で、詰めの打合せを行ひ、「国民運動」では、国会議員の賛同者を募つた。
ところが、五月二日になつて、T社の責任者がS社を来訪し、中日新聞では社論に合はないから掲載できないといつてゐるとの通知を伝へた。
「国民運動」では、掲載了解の返事を得て、国会議員の賛同者を募り、募金活動を行つた段階での拒否に憤り、五月十五日、中日新聞に対して、意見広告を掲載することを求めて、東京地方裁判所に仮処分の申請をした。
五月二十三日、六月六日、二十一日と審尋(通常の裁判の口頭弁論)が行はれ、七月九日に申立却下の決定(通常の裁判の判決)が出された。決定は、中日新聞側の主張をそのままなぞつたもので、誤つた事実判断と矛盾に満ちたものである。
決定は二つの論点からなる。第一に、契約当事者が異なること、第二に、契約はいまだ成立してゐないといふものである。
第一は、「国民運動」の契約交渉の相手はS社であり、S社の契約交渉の相手はT社であり、T社の契約交渉の相手が中日新聞であるといふのである。
この論理からすれば、「国民運動」が契約違反の責任を追及できるのは中日新聞ではなく、T社であることになる。すると社論に合はないと 掲載を拒否したのは誰であるのかが不明となる。第二の、契約はいまだ成立せず交渉途中であつたといふ根拠は、最終原稿ができてゐなかつたとか、最終審査が終了してゐなかつたなどといふのであるが、いづれも新聞広告業界の実情とかけ離れた議論である。
しかも、第一と第二の議論は矛盾してゐる。すなはち、契約の相手が違ふといふのであれば、契約が成立してゐたとしても中日新聞には契約違反を追及できないわけで、契約がいまだ交渉中であつたかとうかとは無関係である。
要するに、この決定は、結論を最初に決めて後から理由づけを考へたものであることを推測させるものである。
「国民運動」としてはこの決定に不満であるので、本訴(通常の訴訟)を提起して中日新聞の主張の黒白をつけるつもりである。