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三月二十日、展転社取り立て訴訟に判決が下った。判決は展転社の主張が全面的に認められる完全勝利だった。
発端は平成十二年のことで、南京事件の犠牲者だと称する夏淑琴が『「南京虐殺」への大疑問』を著した松村俊夫さんと出版社の展転社を中国で訴えた。この本により名誉毀損されたというもので、間もなくすると松村俊夫さんと展転社に南京地方裁判所から呼び出し状が送られてきた。しかし、南京事件というものは中国が国家として認め、その日を祈念日に決めており、司法が国家に隷属している中国で南京事件に関しまともな裁判が行われるはずない。松村俊夫さんと展転社が無視していると、平成十八年、南京地方裁判所は松村さんと展転社に二千三百万円を支払うよう判決を下した。
二千三百万円とは中国人にとって生涯の収入である。いかにも中国らしいやり方だと感心する人もいれば、驚く人もいたが、中国はそれで満足したのだろう、ともあれこれで一段落した。
ところが八年経った平成二十四年、突然、夏淑琴は二千三百万円の取り立てを命ずるように日本の裁判所に訴えて、いわゆる展転社取り立て訴訟というものが始まった。
日本で下りた判決が他国で執行されたり、他国で下りた判決が日本で執行されることはよくあるが、それは相互保証のある国の間でのこと。かつて日本で下りた判決を中国で執行を求めたとき、中国の最高裁判所は認められないという判断を下し、日本と中国の間に相互保証はない。
そもそも、執行される判決は公序良俗に反していけないが、生涯収入に及ぶというべらぼうな慰謝料を命じている。また、執行できる時効も過ぎている。南京事件を持ちだして日本に揺さぶりをかける訴訟だと考えられたが、最近の日本の法曹界を考えると、執行が認められるという万が一も無視できない。そのため、これまで南京事件の訴訟に携わってきた高池勝彦弁護士をはじめとする弁護士が集まってただちに弁護団が結成された。また南京事件に強い関心を持っている人たちを中心に被告と弁護団を応援しようと「展転社を支援する会」が結成された。
日本の判決が中国で執行されたことはないだけでなく、中国で下りた判決が日本で執行されたこともない。今回の判決は、下りるとすれば判例に記載されるようなもので、そのため裁判所は、相互保証が認められるような資料があれば提出するよう夏淑琴側に求めた。夏淑琴側は提出すると答えながらなかなか提出しない。結果からいえば、そのような資料などなかったのだが、そのため、双方の主張は出尽くしたにもかかわらず、二年半もの間判決が下されなかった。
このようなことから展転社や支援者たちは勝利を確信していた。二十日の法廷で「原告の主張を棄却する」と述べられると、法廷には、一斉に万歳の声が上がり、拍手が鳴りひびいて止まなかった。二千三百万円というべらぼうな執行は認められなかったのである。
閉廷後、近くの弁護士会館で説明会が行われた。傍聴に来た四十人ほどの支援者に対して弁護団から、相互保証がないので原告の首位長は認められないという当然な判決だった、と解説が行われ、そのうえでそれぞれの弁護士が感想を述べた。
荒木田修弁護士は「もし原告の主張が認められれば、中国で都合のよい判決が次々下り、それが日本で執行され、日本は危機に陥る。本来は日本の大企業が注目すべき訴訟であった。また、原告の主張が認められれば、反日弁護士の間で売国ビジネスが誕生してしまうが、それも阻止できてよかった。できれば、中国の司法が国家や中国共産党のいうなりで裁判所の体をなしていないということで棄却にしてほしかった」と言えば、尾崎幸廣弁護士は「時効を挙げて棄却せず、相互保証という根拠を挙げていたので、完全勝利と言えるでしょう」と述べた。最後に、高池勝彦弁護団長が「この案件は最高裁判所まで行くと東京地裁の裁判長は言っており、原告側も引っ込みがつかない。判決が変わることはないが、これで終わりにはならない」と話した。
裁判は東京高裁でも続けられる。
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映画「ジョン・ラーベ ~南京のシンドラー~」がDVDとなって発売された。
ジョン・ラーベは、日本軍が南京を攻略したとき南京に残っていたドイツ人で、彼ら第三国人は安全区を作って難民の保護に当たった。それから半世紀以上経った平成十七年、ラーベ日記の存在が明らかにされ、平成十九年に世界同時刊行となった。日本では「南京の真実」と題して発売され、それにより、大虐殺はやはりなかったという見方から、大虐殺の第一級資料というものまでさまざまな意見が出され話題を呼んだ。アメリカの「ニューヨーク・タイムズ」は、その四年前に制作されたスチーブン・スピルバーグ監督の「シンドラーのリスト」から取って、ラーベを南京のシンドラーと呼んだ。またこの年は日記だけでなく映画も制作され各国で公開された。日本では平成二十一年に一度特別公開されただけであったが、制作から六年目に当たる今年、DVDとして発売されることになった。
映画のストーリーは、日本軍が南京に迫る昭和十二年十二月から翌年二月にラーベが上海に着くまでに絞り、難民救済に奔走するラーベを描いている。この年、ドイツ映画祭で主演男優賞、作品賞などを受賞したことから、映画も成功したといえるだろう。
成功した大きい要素は、ラーベを際立たせるため、日本軍の残虐さを徹底したことである。そうすることにより、ストーリーにメリハリがつき、映画として面白くなった。
それだけに残虐さの追及は徹底しており、たとえば、日本の戦闘機が安全区を機銃掃射する。日本軍の捕虜殺戮は南京突入前から始まる。十二月五日には朝香宮上海派遣軍司令官みずから「明日の朝、生きている捕虜な見たくない」と参謀に殺害を命令する。百人斬り競争をしている二人の将校は捕虜を殺害する。中支那方面軍司令官の松井石根大将は朝香宮司令官の態度を生ぬるいと叱責する。日本軍が城内に入ると強姦が続発する。こういった残虐が次から次へと描かれる。
しかし事実がどうだったかといえば、日本軍が爆撃を行ったのは軍事基地で、安全区は避けていた。南京攻略前、日本軍に捕虜を構う余裕はなく、敵兵を捕えてもそのままに進撃した。朝香宮中将が司令官として着任したのは七日で、五日にはまだ到着していない。軍命令の記録が残っており、参謀長たちの日記も残っていて口頭での指示はいまもわかるが、そのような命令は一切発せられていない。百人斬り競争は新聞記者の創作である。南京入城まで松井司令官が朝香宮司令官に会ったことはなく、当然、叱責した事実はない。このような歪曲が次々と描かれている。
史実をもとに制作するとき、映画ならデフォルメすることはよくある。問題は史実映画と謳った場合である。この場合、場所、人物、背景を正確に描き、一部をデフォルメすることは許されない。文学の場合、素材の確証が取れなければ、「ノンフィクッション」としないで「小説」とするほどである。
「ジョン・ラーベ ~南京のシンドラー~」はデフォルメの連続だが、最後に「事実に基づく」と流し、すべて事実としている。
それだけでなく、ジョン・ラーベが二十万もの難民を助けた、三十万の虐殺があったが日本政府は認めようとしない、ともわざわざ加えられる。
DVD発売に先駆け、三月十四日、二度目の特別上映会が東京・亀戸で行われた。上映に先立ち、監督であり脚本も担当したガレンベルガーによる上映会に対する挨拶映像が流された。数分のものであるが、そこでガレンベルガーは、南京事件をホロコーストと並べるとともに、日本を非難しているわけでない、と言い、あるいは非難しているととられるなら申し訳ない、と語っているが、映画がフィクションだとは言っていない。大虐殺は事実だから描いているだけで、それにどう対処するかは日本の問題、それについて私はなにも言っていない、というのである。
この映画が特別上映され、今回DVDとして発売されたのは「南京・史実を守る映画祭実行委員会」の努力によるもので、上映の後、主催者による解説が行われたが、彼らも描かれた残虐行為は事実だとしている。
アイリス・チャンの「レイプ・オブ・南京」で、アメリカ人の多くは南京事件が凄まじい残虐事件だったと改めて知った。ガレンベルガーの「ジョン・ラーベ ~南京のシンドラ-~」により、ドイツ人は日本もホロコーストと同じ国家による大殺戮を行ったと知っただろう。世界中で日本の残虐さが広まっている。
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