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11月9日、「南京裁判」展転社の口頭弁論が東京地方裁判所で開かれました。前回の口頭弁論では、双方がこれまでの主張を総括的に述べ、口頭弁論は一段落しました。その際、夏淑琴の代理人から、日本の判決が中華人民共和国で実行されたケースがあるので後ほどその証拠を提出します、と発言がありました。それまで展転社側は、日中間に相互保証はなく、中国で下った判決は日本で強制されないと主張してきており、それに反論しようとしたものです。ともあれ、中華人民共和国で実行されたという証拠が夏淑琴側から提出され、今回の口頭弁論で結審になると予想されていました。ところが前回の口頭弁論から2か月経ちましたが証拠は提出されませんでした。夏淑琴側はさらに証拠を探す時間を要求しましたためこの日で結審とはならず,法廷は来年2月中旬まで提出するよう求めたうえ、改めて3月7日に口頭弁論を開くことにしました。... 続きを読む

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「『南京虐殺』への大疑問」の著者であり、夏淑琴から訴えられ昨年から口頭弁論が行われていた松村俊夫さんが九月二十八日に亡くなった。八十六歳であった。... 続きを読む

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興亜観音が建立されてから今年で七十三年目を迎えた。いまでも観音像は相模湾を向き、穏やかな表情をたたえている。境内はいつも清らかで、観音堂も昔のままだ。

松井石根大将は、昭和十二年、上海派遣軍司令官として上海で戦い、引きつづき中支那方面軍司令官として南京を攻略した。上海の戦いは苦戦の連続で、四万余の戦死傷者を出した。犠牲者からいえば日露戦争の旅順攻略に匹敵するものであった。凱旋帰国すると、松井大将は犠牲者の霊を弔おうと思い、同時に、戦いで倒れた中国の将兵にも思いをはせた。松井石根は、日中は手を携えて欧米に当たるべきとの孫文の考えに共鳴し、昭和に入ると大亜細亜協会を設立し、それを実践してきた大アジア主義者である。自然の感情であろう。
大場鎮は上海の戦いのなかでも激戦地の一つである。ここを失えば中国軍は上海から撤退せざるをえず、そのため必至に戦い、多数の犠牲者を出した。松井大将は、中国の将兵の霊を慰めようとしたとき、血に染まった大場鎮の土と、瀬戸の土で観音像を作り、供養しようと思った。

熱海の伊豆山中腹に観音堂、そばに観音像が建立され、昭和十五年二月、芝増上寺の貫主が導師となり、盛大に開眼式が行われた。松井大将は品川に住んでいたが、伊豆山の麓に住まいを移し、堂守りとして、毎日、観音像にお参りするようになった。

昭和二十一年、東京裁判の被告に指定され、伊豆山を離れるとき、松井大将は伊丹忍礼・妙眞夫妻に堂守りを頼んだ。東京裁判で処刑された松井大将は再び観音像のまえに戻ることはなかったが、伊丹忍礼・妙眞夫妻は松井石根の遺言を守り、堂守りを務めた。

興亜観音を支えるため、建立から二年後の昭和十七年、興亜観音奉賛会が設立される。しかし、敗戦となり、松井大将が刑死し、時代を経ると、奉賛会の活動は弱くなった。それでも伊丹夫妻は、赤貧のなか、三女を育てながら、興亜観音を守ってきた。やがて忍礼が、そして平成の初めに妙眞が亡くなると、三女の妙浄が僧籍に入り、堂守りとなった。現在、興亜観音を守っているのはこの三女である。
興亜観音では、毎年、五月十八日に例大祭が行われるほか、敗戦の八月十五日、パール判事の命日、松井大将が処刑された十二月二十三日に特別の法要が行われる。

毎日、誰かが参拝に登ってくる。熱海だけでなく、全国から来る。住職の妙浄は、毎日、境内を掃ききよめ、読経する。参拝者に茶を接待し、法話もする。パール判事の命日にはインドの紅茶を接待するという。
戦後、奉賛会とは別に、興亜観音を支えようとして多くの人が協力してきた。昭和の終わりには「弧峰会」が作られ、平成に入ると「興亜観音を守る会」が活発に働いた。

南京攻略のとき大分の歩兵第四十七連隊は中華門を攻めた。城門の守りは固く、歩兵第四十七連隊では中華門の左の城壁をよじ登って攻めることになった。三明保真大尉指揮する第三中隊が攻め、十二月十二日正午過ぎ、城壁上に日章旗を立てた。城壁上に初めて日章旗を立てたのは三明中隊である。息子の正一はやはり士官学校を卒業した軍人で、「弧峰会」の事務局長として興亜観音を支えた。

住職の妙浄はこんな思い出を語っている。

「ある夜、夢を見ました。観音堂の前に三明正一さんが立っているのです。三明さん、と呼ぶと、スーと消えました。あとで、三明さんが亡くなったと聞きました」

参拝には外国からの参拝者もおり、なかには観音像の前で五体投地する参拝者もいる。敵味方の区別なく慰霊している興亜観音に共鳴するからであろう。

「台東区に住む大塚和平さんが若者を連れてよくお参りにいらっしゃいました。お参りすると、必ず観音像に上って顔やら体を拭いてくれました」

「八月十五日には、観音像にお参りしてから靖国神社に行くという人がいますし、靖国神社にはお参りしてきたと言って興亜観音に来る人もいます」

熱海駅から湯河原駅行きのバスに乗り十分、「興亜観音前」で降り、そこから参道を十数分登ると、興亜観音と観音堂がある。誰でも自由にお参りできる。住職は心から歓迎してくれる。
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