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興亜観音が産経新聞で紹介される

十二月十四日の産経新聞の「論説委員 日曜に書く」が、川瀬弘至論説委員による「興亜観音の慈愛を世界に」と題し、興亜観音を紹介しています。

 昭和十二年、松井石根大将は上海の邦人安全確保と南京攻略を命ぜられ、その目的を果たしますが、この戦いで日本と中国は多数の戦死者を出しました。中国兵のなかには屍を野にさらしたまま、弔ってもらうことのない戦死者もいることから、松井石根大将は昭和十三年二月に凱旋帰国すると日本の戦死者とともに中国の戦死者も弔いはじめ、昭和十五年二月に熱海伊豆山にお堂と観音菩薩を建立し、弔いつづけます。このとき戦死者がたんに戦死にとどまらず両国提携の礎になるように建立した像を興亜観音と名づけました。

 敗戦となり松井大将は戦犯に指定され、昭和二十三年十二月二十三日に処刑されます。翌年以降、興亜観音では松井大将とともに処刑された六人も含め慰霊祭が行われてきました。今年も慰霊祭が挙行され、四十人をこす参列者があり、その翌日、興亜観音建立の経緯と現状が紹介されました。

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