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ラーベにつづく第二の南京のシンドラー

ドイツ人ラーベの「南京の真実」が発売されたとき、ラーベを南京のシンドラーと持ちあげる見方が出されました。あれから二十七年、新たな南京のシンドラーが現れました。来年三月、「ベルンハルト・シンドバーグ 南京のシンドラー」と題する本が発売されます。

南京攻防戦が行われたとき、南京城の東二十キロほどにある棲霞山寺院に二万人の市民が避難しました。そのさい日本軍による殺害や略奪が起ったという訴えが棲霞山寺院から近くのセメント工場責任者であるデンマーク人ベルンハルト・シンドバーグに届けられ、その訴えが二月上旬に南京の宣教師へ届けられました。

避難した市民は、ベルンハルト・シンドバーグがセメント工場内に建てた小屋に移り、鼓楼病院からもらいうけた医療品で治療を受け、二月中旬、マギー牧師がセメント工場を訪れると、まだ棲霞山寺に一千人、キャンパスに一万人を越す市民が残っていました。

こういった話をピーター・ハームセンが取材も加えてまとめたもので、ピーター・ハームセンは以前にも「Nanjing 1937 Battle for a Doomed City」を書いています。 しかし、日本軍がほとんどいない場所でのことで、棲霞山寺院の訴えは宣教師が記録した「南京安全区档案」に載って知られるようになりますが、「南京安全区档案」は宣伝刊行物で、宣教師が殺害や略奪を確認したものでありません。