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前駐オーストラリア大使の山上信吾氏が外務省の歴史戦への姿勢について新著「日本外交の劣化」(文藝春秋)で注文をつけています。

平成二十六年、総合外交政策局審議官だった山上信吾氏は、在外公館が歴史問題について積極的な発言をできるよう応答要綱を作りましたが、その資料はお蔵入りになりました。令和二年、オーストラリア大使として赴任するとき担当部局から、歴史問題について日本の立場を訴えるときプロパガンダと受けとられないように、と注意されています。このような体験を紹介したうえで山上氏は、外務省の南京事件に対する見方は国内の右と左のバランスをとった国会答弁的なものとし、これでは大虐殺があったとする中国との歴史戦には勝てないと主張しています。山上氏の南京事件の認識はまともなもので、「多くの中国兵が日本軍に投降せずに軍服を市民服に着替えて逃げたり、抵抗を続けた」と問題点を的確に指摘しています。

さっそく「プレジデント オンライン 5月31日」が「中国の『南京大虐殺』に日本政府は反論できる」の題名で、氏の南京事件に関する見方を紹介しています。すると、そのことを「Yahoo! Japan ニュース」が流しいっそう広まっています。

「WiLL」5月号に掲載された阿羅健一「外務省 谷野作太郎の罪―外務省ホームページ『南京虐殺』はなぜ消えないー」が南京事件を押しすすめてきた外務省の中心人物を明らかにしています。

それによると、中国課長、鈴木善幸総理大臣秘書官、外政審議室長、アジア局長、駐中国大使を歴任した谷野作太郎がそのひとです。

谷野作太郎氏は、いわゆるチャイナスクールの一員で、日中国交のときから中華人民共和国と関わりだし、昭和五十七年の教科書誤報事件のさい南京事件を認め、その後、外政審議室長として慰安婦強制と植民地支配に深くかかわりました。深く関わるというより、慰安婦強制連行、植民地支配の捏造を押しすすめてきました。南京事件については、根拠がないにもかかわらず事実だとして教科書に記述させ、慰安婦では強制の枠を広げ、韓国とすり合わせしたことを隠し、植民地支配ではそれがなにを指すか示すことができないまま村山談話として発表させています。

日本の歴史を歪めてきたのは外務省であり、絞れば外務省のアジア局(現在のアジア大洋州局)で、さらに絞ればアジア局の誰かとなり、橋本恕や阿南惟茂たちが浮かびますが、谷野作太郎氏が中心人物であることが明らかにされています。

一月二十六日、参政党の神谷宗幣参議院議員が外務省ホームページの南京事件について質問主意書を提出しましたが、二月二十八日に再質問主意書を提出し、三月八日に政府から答弁書が送付されました。

 再質問主意書では、戦史叢書に住民を殺害した記述は見当たらず、逆に日本軍の軍紀風紀徹底の記述がある、と質問したのですが、このような記述があると政府は答弁をしてきました。

「遺憾ながら同攻略戦において略奪、婦女暴行、放火等の事犯がひん発した」と「少数であったとしても無辜の住民が殺傷され、捕虜の処遇に適切を欠いたことは遺憾である」の記述です。

 しかしこの答弁は、昨年四月二十三日に和田政宗議員へ答えたものとおなじで、そのとき和田議員は、前のものを「略奪等について記したもの」、後のものを「日本軍が意図的に住民を殺害したという文脈で記されているのではなく、非戦闘員や住民が巻き添えを食らって死亡したとの記述に続く文脈の中で記されているもの」と指摘、住民殺害を否定しています。

政府はごまかし答弁をしたうえ改めようとしないことが明らかになりました。

昨年、参議院決算委員会での林芳正外務大臣の答弁により外務省ホームページに記載されている南京事件に根拠となる資料のないことがわかりましたが、そのさい林外務大臣は「戦史叢書 支那事変陸軍作戦(1)」あげたことから、今年一月二十六日、参政党の神谷宗幣参議院議員があらためてホームページのもととなる資料は何か、外務省はホームページの記載内容をどう評価しているか、「歴史認識に関わる我が国の政策に関する質問主意書」を提出しました。

 二月六日、政府は平成十九年四月の西村真悟衆議院議員の質問主意書に対する政府答弁書をあげ、「『戦史叢書』に限らず、それまでに公になっていた文献等から総合的に判断した」「根拠となる資料が欠けているとは考えてない」と答えました。昨年の林外務大臣の答えとまったくおなじです。

そこで二月二十八日にあらためて神谷議員は、戦史叢書に一般住民を意図的に殺害したという記述は見当たらないと指摘したうえ、政府が南京での非戦闘員の殺害や略奪行為を否定できないと判断するに至った具体的な分析過程を教示されたい、またホームページについて「根拠となる文書類がないのであれば、曖昧な表現は避けるべきではないか」とする質問主意書を提出しました。外務省はどう回答するか、注目されます。

フリー百科事典として知られているウィキペディアは、ネットを通して編集され、日々更新されています。日本語版は平成十三年から始まり、多くのひとに調べ物として利用されてきました。

日本語版が始まると南京事件も記述されました。すでに日本政府が認め、教科書が記述していることから、ウィキペディアも南京事件を市民殺害の事件として記述しました。笠原十九司や秦郁彦の著作を引用し、南京事件を否定する見方を排除してきました。当然のこと、間違いだらけで、ウィキペディアのほかの記述まで疑われている始末です。

昨年四月三日、林芳正外務大臣が外務省ホームページの記述に根拠がないと答えたことはウィキペディアにも記述されました。しかし、投稿者のあいだで「産経新聞」や月刊誌「WILL」「HANADA」「正論」などに掲載された論考は認めないという方針があらためて示され、外務大臣が答弁したことは削除されてしまいました。

そういったウィキペディアの編集に対し、令和六年に入り反論が出され、これまでなかった論争が繰りひろげられています。論争の一部はウィキペディアの「ノート」のなかに見ることができます。削除された外務省ホームページの記述や安全区委員会に関する記述が戻されるのか、注目されています。