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 10月16日、公益財団法人アパ日本再興財団による第8回アパ日本再興大賞の優秀賞が発表されました。優秀賞はここ数年に発行された著作のなかから審査委員長の小堀桂一郎東京大学名誉教授をはじめとする五人の審査委員の合議で決定されるもので、第8回の優秀賞に「決定版 南京事件はなかった 目覚めよ外務省!」(阿羅健一著 展転社刊行)が選ばれました。
 「決定版 南京事件はなかった 目覚めよ外務省!」は、阿羅健一氏の40年間の南京事件研究を集大成したもので、南京事件は支那事変における戦時宣伝であり、昭和五十七年に外務省が中国のいうまま近隣諸国条項を設け教科書に記述させたもので、また外務省ホームページの南京事件に根拠はなかったなどを明らかにしています。
 ここ数年、中国にいる日本人に危害が加えられる事件が起き、その原因に南京事件があげられています。7月には南京事件を扱った中国映画「南京写真館」が封切られると記録的な入りになり、中国にいる日本人の生命がさらに心配されています。
 一方、国会では自民党の和田政宗議員が外務省のホームページについて質問したあと、参政党の神谷宗幣議員が質問主意書を提出、さらにNHK 党の浜田聡議員も質問主意書を提出してホームページに対する外務省の姿勢を問いただし、国民の注目がいっそう増しています。
 まさにタイミングよい優秀賞といえるでしょう。

 36年前、江藤淳が「閉ざされた空間」を上梓して占領下における検閲の実態を明らかにしましたが、そのときの検閲は日本人に深く染み込み、そのため南京事件の解明をつい最近まで遅らせたという論究が発表されました。「一次史料が明かす 南京事件の真実」の著者・池田悠氏が国際歴史論戦研究所のホームページに8月発表した論説「日本の言論空間と南京事件」です。
 池田氏によると、宣教師のひとりヴォートリンは宣教師たちが中国軍支援を決めたと日記に記述していましたが、訳者か出版社か自己検閲し、その箇所が訳されず、そのため宣教師の行動は中国側のプロパガンダであったと知られることがなかったということです。また、難民区が解除されて平和が戻ったというラーベ日記の記述も、日本人の自己検閲により邦訳されず、そのため宣教師が難民区を保護してきたと逆にみなされてきた、と指摘しています。
 GHQの検閲方針にしたがって自己検閲をし、その検閲があったことを明かしてはならないということは独立後も続き、さらに江藤淳が指摘したあとも続いている、と池田氏は指摘しています。あらためて南京事件が見直されるべきとわかります。

 敗戦から80年目を迎えたことから、テレビ、ラジオ、出版、ネットなどで南京事件が例年より多く取りあげられていますが、そのなかで南京事件を完全に否定する本が発行されました。青木康監修「封印された日本軍の真実」(宝島社)で、写真を多用したムック本です。
 この本は、巷間流布している歴史をGHQが植えつけたものとみなし、自虐史観、朝鮮併合、アジア解放、靖国神社などに分け、さらに項目ごと見開きに収め解説しています。南京事件は「第2章 反日に隠された『日中戦争』の真実」で取りあげられており、そこでは、南京事件の写真といわれているものは捏造されたもの、ベイツの南京事件に関する証言は事実に基づいていなかったこと、東京裁判に出された埋葬記録もつくられたものであることなどが説明されています。また、南京事件を主張する人たちが虐殺の例としてあげる幕府山事件と中国兵の処刑を取りあげ、幕府山事件は捕虜を釈放しようとしたとき暴動が起きたため射殺したもので、中国兵の処刑は便衣兵であったことによるもので国際法に違反していないことを説明しています。写真を多く引用することで理解を容易にしています。

 TBSラジオの「荻上チキ SESSION」(月曜から金曜、午後5時から8時)が「シリーズ戦後80年特集」として8月11日に南京事件を取りあげ、笠原十九司氏を招き、笠原十九司氏は50分にわたり解説、12日にYouTube上で流れました。
 そこで笠原氏は、海軍航空部隊が中国爆撃を行えば、陸軍は松井石根と武藤章と柳川平助が功を競い、兵隊は上海戦の夏服のまま歩いて南京まで進み、補充兵には上官がおらず、中支那方面軍に兵站の担当者がいなければ憲兵もおらず、そのため日本兵は民家に入って略奪と強姦をした、と説明しました。その説明を聞けば、当時の日本人の道徳はそれほど乱れていたのか、日本という国は犯罪者の群れからなっていたのか、日本軍は軍隊のていをなさず、そのような軍隊に負けた中国軍はどれほど弱かったのか、とつぎつぎ疑問を抱き、その説明に納得するひとはいないでしょう。
 また笠原氏は、南京事件を否定する歴史修正主義者がいるとして、彼らに反省がなく、そのため南京事件の被害者は傷つけられ苦しみ、日本軍がいかに残虐だったか修正主義者はもっと想像しなければならない、と説いています。
 平成30年9月19日に文京シビック小ホールで「南京攻略81年記念大講演会」が開かれたとき、マスコミ入場取材お断りの告知にもかかわらずTBSラジオは入場、講演内容をその日の番組で流し、そのことを主催者から抗議されると、報道の自由だ、と居直りました。社会生活の基本もわきまえないTBSラジオが反省といっても、自分から反省すべきといいかえされるだけでしょう。

 笠原十九司氏の「南京事件」が「南京事件 新版」として7月30日に刊行されました。50頁ほど増え、そのぶん章が増し、文章の入れ替えがありますが、内容はほぼ変わりません。
 平成9年に刊行された「南京事件」は、笠原十九司氏がそれまで依拠してきた東京裁判の南京事件が崩壊したため、新たに構築がなされました。日本軍は戦時国際法に反した渡洋爆撃を行い、陸戦条約に違反して包囲殲滅戦を行い、国際人道法に反した残虐行為を行ったと牽強付会し、それまで南京事件といわれていた期間と場所を大幅に拡大もしました。そのうえで、南京攻略戦開始の市民を40から50万人とみなし、戦場の戦死体をほとんど虐殺と数え、架空の埋葬記録を引用、軍民の犠牲者数を20万人近いかそれ以上としました。論理がまったく破綻したにもかかわらず「新版に寄せて」のなかで、「ロングセラーとなり刷を重ね、歴史学会でも通説とする評価を受け」新版を出版した、と自画自賛しています。
 新たに増した部分は、日本海軍の作戦、中国側から見た被害、スマイス著「南京地区における戦争被害」を用いた市民犠牲者数の3点です。日本海軍も南京事件の責任があると主張しますが、中国のいう犠牲者をあげるだけです。海軍機が爆撃したのは軍事基地と兵站戦で、爆撃記録があり、市民を爆撃したことはありません。つぎの中国側から見た被害については、これまでとおなじで半世紀以上も経った証言が意味をなさないのはいうまでもありません。最後の「南京地区における戦争被害」の引用については、すでに「南京地区における戦争被害」が策を弄した数字を記録した宣伝物であることが明らかにされており、それに反論することなく、国民党の宣伝物であることを隠し、数字を上乗せしているにすぎません。
 指摘されてきた旧版の間違いのなかでは、南京事件を「戦時国際法と国際人道法に反した不法残虐行為」と記述していた部分の「国際人道法」(第二次世界大戦後の考え)が削除されただけです。8月1日の東京新聞、3日のしんぶん赤旗、6日の産経新聞などが新版を紹介したり笠原十九司氏を引用したりしていますが、それらは的外れです。