YouTubeにまともな南京事件が久しぶりにアップされました。
YouTubeは十数年前から南京事件の否定論を削除し、肯定するものだけアップし、それに対する批判も削除したため、南京事件に関する知的水準が低下つづけてきました。そんななか12月20日、「NoBorder#26」が「南京大虐殺は真実か捏造か? 戦後80年語られない歴史の核心」と題する討論会をアップしました。
自身の映像が削除された体験を持つ水島総氏や小名木善行氏が討論会に参加し、持論を述べ、一方、白井聡氏や岩田温氏が肯定論を展開しました。肯定論が半分占めたためか、討論会は削除されず、肯定論が久しぶりだったためか、数日のうち再生回数が40万回に達しました。
しかし南京事件を主張する人の知的水準が低いのはここでも見られます。岩田温氏は松井司令官が認めたと述べますが、松井司令官は東京裁判で「検事側の主張する如き計画的又は集団的に虐殺を行いたる事実断じてなし」と証言しています。白井聡氏は日本兵の軍紀は乱れていたと語っていますが、そのころアメリカやソ連に派遣されその国の軍隊で寝食をともにした日本の将校は日本兵の軍律のよさを認識して記録に残しています。
村西とおる氏が南京事件はプロパガンダの側面があると述べましたが、そこをつく必要があるでしょう。
カテゴリー: 報道
歴史認識問題研究会が「南京事件 新版」批判
歴史認識問題研究会の第30回月例研究会が千代田区の星稜会館で12月20日開かれ、「南京事件の真実を追求する会」の阿羅健一会長が「書評・笠原十九司『南京事件 新版』」と題して1時間30分にわたり講演しました。
講演の内容は「南京事件 新版」(岩波書店)批評で、批評は「笠原氏の主張する南京事件」「笠原氏の日本軍批判」「笠原氏のほかの主張」の3つに分かれています。
中心は「笠原氏の主張する南京事件」で、笠原氏は日本軍の行動がすべて戦時国際法に違反していると断定しており、それに反論したものです。また、笠原氏が日本軍の違反を説明するなかに夥しい間違いがあるので「笠原氏の日本軍批判」として批判し、南京事件をでっちあげるためさまざまな歪曲もしているので「笠原氏のほかの主張」として批判しています。
結論として「旧版も新版も学術書といえるものではない。笠原氏は憶測と妄想でつくりあげているだけで、単なるプロパガンダ文書にすぎない」と厳しく批判しました。
中国が南京事件キャンペーン
令和7年12月13日は南京陥落から88年目にあたり、中国は南京事件の宣伝につとめています。
11月30日、南京虐殺祈念館で犠牲者家族による祭祀活動が行われました。祈念館のなかに犠牲者名の刻まれた「嘆きの壁」があり、遭遇者、遺族、青少年ボランティアが献花し、中国の墓参りの習わしである遺族が犠牲者の名前をペンでなぞる儀式が行われました。南京事件に遭遇しながら生存している人は24人ということです。
しかし、昭和20年11月、中華民国が南京事件を調べたとき、「冬の蝉のごとく口を噤みて語らざる者、あるいは事実を否認する者」などで調査は困難だったと報告されています。中華人民共和国になってからの遭遇者についてはイアン・ブルマが「戦争の記憶」にこう書ています。
「(昭和57年の教科書事件ののち)南京の生存者が中国政府によって選ばれ、おおやけの場で体験を語るようになったのである。それまでは中国政府は彼らを気にも留めていなかった」
生存者といってもこのようなひとたちです。
12月5日、「2025年新規収集文物史料発表会」が行われました。南京事件に関する史料収集はいまも行われ、今年は573点見つかったということです。そのなかに第13師団砲兵第19連隊の山川儀仁の書簡と、第5師団歩兵41連隊の村田芳夫の書簡がありました。後者は昭和13年1月8日に上海から父へ送った手紙で、「南京には面白い死刑桟橋があり、毎日、支那敗残兵または傷病兵を日本刀で殺し、射殺しています。死体は全部揚子江に流していて痛快です」と書かれており、展示されると中国人から怒りが起きました。
歩兵41連隊は揚子江左岸を南京に向かい、12月13日、南京の中州に上陸します。中州には右岸の戦闘から逃れてきた中国兵と右岸で釈放された中国兵がおり、41連隊へ攻撃してきた中国兵には反撃し、降伏してきた中国兵は釈放しました。連隊は1週間ほど南京城外にとどまり、この間、難民区に逃れた敗残兵が揚子江岸で処断されており、それを手紙は書いたのでしょう。敗残兵が処断されたことはすでに知られており、戦闘行為であって虐殺の証拠でありません。この史料は南京事件研究家の渡辺久志が持っていて提供したということです。
また、12月10日、CGTN JAPANは、「南京大虐殺から88年『歴史の直視が平和への第一歩』と日本人若手研究者・青山英明氏」と題し、南京大学歴史学院で学び『一帯一路日本研究センター』ジュニアヘローである青山氏が南京事件は12月から1月にかけ組織的・計画的に行われた非人道行為であると語ったと報じています。
グロッキペディアの南京事件
10月27日、オンライン百科辞典のグロッキペデイアが公開されました。イーロン・マスク氏が、インターネット百科事典のウイキペディアはリベラルに偏っているとし、2023年にxAIを設立、開発してきた公開サイトです。ウイキペディアは一般の人でも編集にかかわることができますが、グロッキペデイアは自動AIが編集し、一般の人が書きこむことはできません。しかし、誤った記述に対する提案を受けいれるとしています。
グロッキペディアで南京事件を検索すると、日本軍が南京で4万人から20万人を虐殺した事件と認定し、南京事件の死者数推計についてジャン・ルイマル・ゴラン、笠原十九司、デビッド・アスキュー各氏の研究を引用しています。ちなみにウイキペディアは10万人から20万人を虐殺した事件と認定し、ともに歴史事実としています。
ほかに共通していることは、南京攻略戦当時の日中の宣伝を取りあげていないこと、おもに東京裁判の記録とアメリカ宣教師の記録を引用していることがあげられます。また、南京戦が始まるまえアメリカ宣教師が中国軍支援を決議していたことや、宣教師ベイツが欧米の記者へ渡したメモが南京事件の報道となったことなど比較的最近の研究がまったく欠けています。また、仕方ないことかもしれませんが、英文や英訳された資料に寄りかかり、そういった資料を羅列するにとどまり、正しい判断ができていないことも共通しています。
グロッキペデイアは南京事件に関し「依然として情報源の信頼性問題に陥っており、左派の学術的傾向が相互検証データよりも被害者側の統計を無批判に採用する傾向も含まれている」と指摘していますが、的外れな記述もたくさんあり、まだまだといえるでしょう。
外務省ホームページに関する論説が国際歴史論戦研究所のホームページに
日本が突きつけられている歴史問題を研究している国際歴史論戦研究所のホームページに顧問の阿羅健一氏による「戦後80年の南京プロパガンダ」が掲載されました。10月26日、阿羅氏は南京事件を取りあげて次のように主張しています。
昭和57年に外務省が南京事件を認めたのは日本政府のことなかれ主義によるものでしたが、40年以上経った現在、南京事件は中国人が中国にいる日本人を襲う大義名分となり、台湾有事を予想した情報戦の武器として使われています。元麻布にある中国大使館は映画「南京写真館」が記録的な大入りとなったことを宣伝するだけでなく、百五十人の日本人を招いて試写会を開いています。また、そういった中国大使館の情報戦に琉球日報やTBSが協力しています。外務省はホームページの南京事件に根拠がないと認めたものの、依然としてそのままにしており、早急にホームページを抹消するなどしないと中国は現在の行動をますますエスカレートさせるでしょう。
このように阿羅氏は説明し、ただちにホームページを抹消するよう求めています。
