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南京事件はあったのか? 中国のプロパガンダなのか?

今年12月13日は日本軍が南京を攻めおとして85年目にあたります。

こういう年、論争に決着をつける本が発売になります。

アメリカの宣教師が書いた日記や家族への手紙がのこされています。そこには南京で市民殺害があったと書かれていません。

南京が陥落したあと、宣教師のひとりベイツは、南京の市街に市民の死体が横たわっているというメモを書き、新聞記者に渡しました。そのメモが記事となり、そこから南京事件は始まりました。

戦後、東京裁判が開かれたとき、十一万二千余人を埋葬したという埋葬記録が提出されました。それにより東京裁判は、十万とも、二十万とも、市民が殺害されたと判決しました。この埋葬記録は偽造されたものでした。

南京事件が蒋介石の宣伝であることは毛沢東も知っていました。そのため、毛沢東が亡くなるまで中国で南京事件が言われることはありませんでした。中国で南京事件が言い出されたのは、毛沢東が死んで三年後の昭和五十四年のことです。

日中歴史共同研究の中で、日本側は改竄を行ってまで南京事件があったとしました。

日本の外務省はホームページに市民殺害があったと書いていますが、今年、記述の根拠となる資料は外務省になかったことが明らかになりました。 こういった事実が多くの研究者によって明らかにされてきました。今回、それらがまとめられ、あらためて南京事件は虚構であることが示されました。『決定版 南京事件はなかった 目覚めよ 外務省!』(阿羅健一著 展転社発行 2500円)がその本です。

産経新聞 近現代史研究家 阿羅健一氏 根拠なき政府見解は撤回を

『「南京事件」日本人48人の証言』」(小学館文庫)は、平成十四年からロンゲセラーをつづけてきました。南京戦から85年目となる今年、新たに二人の証言を加え、『決定版「南京事件」日本人50人の証言』として、十一月二十日に育鵬社から発売となります。この本が発売まえから注目を浴び、アマゾンに予約が殺到しています。

『「南京事件」日本人48人の証言』は、陥落後の南京に入った新聞記者、カメラマン、外交官、高級将校たちより、昭和五十九年から六十一年にかけ、聞き書きしたものです。

日本軍が南京を攻略したとき、欧米の新聞は、日本兵は南京市民を好きなように殺していった、と報道しました。十一年後の東京裁判は、十万とも、二十万ともいう人を殺したと判定しました。日本人が見た陥落後の南京はどういうものか。50人の語る南京はどういうものだったのか。南京の姿がこれら日本人により明らかにされています。

『「南京事件」日本人48人の証言』は、これまで紙と電子版とで発売されてきましたが、今年初めから、電子版だけとなりました。すると、紙媒体で読みたいという要望が上がり、それにこたえ育鵬社が単行本として発売を決め、十一月二十日発売と決まり、注文が殺到しているものです。電子版はこれまで通り小学館から発売されています。

『決定版「南京事件」日本人50人の証言』は、50人の証言のほか、かつて月刊誌「正論」に収められ、いまでは入手困難となっていた阿羅健一の三つの論文も収められています。

ひとつめの「新史料 架空だった南京大虐殺の証拠」は、崇善堂という埋葬団体が十一万二千余人を埋葬したと東京裁判で認定されましたが、その埋葬記録は戦後につくられたものであることを明らかにした論文です。東京裁判は、十一か国が集まり、三年にわたり開廷していましたが、このようなでたらめな判決をしていたと話題を呼びました。

ふたつめの「東京高裁も退けた“南京虐殺”のウソ」は、東史郎上等兵が日記に、中国人を郵便袋に入れ、ガソリンかけて火をつけ、沼に放りこんだ、と書いて訴訟となり、東京高裁は、日記は当時書かれたものでなと認定しました。このときの訴訟のやりとりを描いたもので、東史郎のでたらめぶりや、日本の裁判に対する中国の圧力が描かれています。

みっつめの「南京事件の真実を追い求めて」は、日本軍が南京を攻略したとき、陸軍省や外務省にはどのような情報が入っていたか、昭和十二年当時、東京にいた軍人や外交官にから聞き書きしたものです。陸軍省や外務省では南京事件がまったく認識されていなかったことが明らかにされ、南京事件が宣伝であったことがあらためてわかります。

『決定版「南京事件」日本人50人の証言』(阿羅健一・著)は、2200円(税抜き)です。

 

宣教師たちが日本軍の残虐さを発信して南京事件を作りあげたことはよく知られているが、なぜ彼らは根も葉もないことを、という疑問は残されていた。その疑問が『一次史料が明かす南京事件の真実!』(展転社)で明らかにされた。明らかにしたのは若手の南京事件研究家・池田悠氏だ。

 

それによれば、まだ日中が上海で戦っていたとき、南京にいた宣教師たちは安全区を提案するために集まり、そこで中国軍支援を決めたという。

 

難民が安全区に入ってくれば布教の機会が増えるので、宣教師たちは安全区の提案を考えていた。中国のプロテスタントは蒋介石を支援することでまとまっており、それに応えるため宣教師たちは中国軍支援も決めた。安全区は中立でなければならず、安全区の提案と中国軍支援は矛盾するが、布教のために許されたのだろう。

 

宣教師たちは南京戦が始まる前から明確に中国軍側に立っていたのであり、国際法を無視し、根も葉もない南京事件を作りあげた動機がよく理解できる。

 

宣教師の頭に国際法がなかったことはほかのことからも見てとれる。

赤十字と紛らわしい旗を作り、国際赤十字と紛らわしい団体を作った。安全区に中国軍の大砲陣地があってもそのまま、中国軍が安全区に出入りしても止めなかった。中国兵を安全区に匿うこともした。

 

南京事件をでっちあげることなど意に介していなかったのである。

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「『南京事件』日本人48人の証言」(小学館文庫)が英訳され、「史実を世界に発信する会」のサイトに掲載されている。

 

この本は、南京が陥落したときそこにいた新聞記者、カメラマン、外交官、従軍画家、高級将校たちのうち、昭和60年頃に存命中だった人から聞き書きしたもので、彼らの語る南京は戦場となった街と何ら変わることなく、東京裁判の言うような殺戮や強姦が起きていなかったことを明らかにしている。昭和六十二年に「聞き書 南京事件」として刊行され、増刷されたが、出版社が倒産したため絶版となった。平成14年に小学館から改題され文庫として改刊行され、6刷りを重ねて、いまでもオンデマンドで入手できる。南京事件に関する本のベストセラーの一冊である。

 

刊行から30数年にして初めて英訳されることになったが、それにはこのようなことがあった。

 

英訳したのはグローン摩野さんというフィンランド在住の日系人である。グローン摩野さんは団塊の世代として生まれ、学校を卒業して企業に就職するが、28歳のとき本格的に英語の勉強を始める。いとこがオランダに住むなど外国語を学ぶ環境にあったからで、翻訳家に転身、以来、商品マニュアルなどの翻訳を何十年も続けた。独身主義から独身を続けてきたが、55歳のとき京都の醍醐寺でフィンランド人から道を尋ねられ、それが縁で結婚、平成17年にフィンランドへ移住した。

 

結婚してしばらくすると夫から南京事件を引き起こした日本人は残虐だと言われた。思いもよらなかったことで、日本人はそんな残虐な民族ではないと反論するが、夫の周りも夫の見方に賛成する。グローン摩野さんは夫たちを説得しようと、それからは南京事件に関する本を読みまくる。そこで出会ったのが「『南京事件』日本人48人の証言」で、この本を手にすることによって、自分の反論は当たっていたと改めて確信する。それとともに夫を説得することができた。

 

夫を説得できたが、世界を見ると、かつての夫のように南京事件を事実ととらえている人が多い。そのためネットで発信して世界に向けて発信しなければならないと考え、これまでの翻訳とは全く別のジャンルであったが、翻訳に挑戦することにする。

 

軍事に疎いことから「『南京事件』日本人48人の証言」には理解できない箇所がいくつもあった。それでもどうにかこうにか英訳をしおえる。しおえはしたが、この先どうすればよいかというとき、「史実を世界に発信する会」と出会った。平成29年8月のことである。

 

「史実を世界に発信する会」は南京事件に関する著作を何冊も翻訳しており、地名、人名などの表記に関するデータは揃っている。グローン摩野さんの訳した英文は「史実を世界に発信する会」の校正を受け、さらにネイティブが校正、校正が済んだものから順次サイトに掲載されることになった。

 

本年5月、すべての翻訳が終わり、サイトに掲載された。翻訳を終えたグローン摩野さんは英文で世界に発信されることにより日本人の残虐性が南京を引き起こしたという過ちが訂正されると確信している。

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総合誌の九月号が福田元総理の南京記念館訪問を取りあげ批判している。「WILL」は三浦小太郎の「福田康夫 YOUは何しに南京へ」、「月刊HANADA」が阿羅健一の「南京大虐殺記念館訪問 福田元総理の過ち」、「正論」が藤岡信勝の「福田康夫さん、元首相の肩書を返上しなさい」。

 

三浦小太郎は、中国のチベット弾圧に対して日本で抗議が起きたとき総理大臣だった福田康夫の姿勢に言及するとともに、「わらわし隊」の例を挙げて南京事件がなかったと指摘した。阿羅健一は、福田元総理は日本テレビの「南京事件Ⅱ」を見て虐殺があったと言うが歪曲だらけの番組を見抜けなかったのか、福田元総理の地元前橋の連隊が真っ先に城内に入ったがそうすると前橋の連隊が虐殺をやったのか、と指摘。藤岡信勝は、記念館の展示が修正され説得力あったとの福田元総理の見方に逐一反論し、不法殺害は謝らなければならないとの言い分に対しても会津若松の歩兵連隊を例に挙げて戦場というものを説明、それに対する福田元総理の答えを求めている。

 

南京事件はユネスコに登録されたが、一方的に登録したとして日本政府はユネスコの分担金支払いを保留した。そういった事実からすると、元総理が南京記念館を訪れて献花することは日本の外交を損なうことになり、それ相応の理由がなければならない。福田元総理は、記念館の展示は改善された、大虐殺は中国が言っている、日本テレビが日本軍の虐殺を報じた、と理由を挙げていたが、三氏によってすべて批判された。黙ってないで反論すべきだ。