コンテンツへスキップ

 TBSラジオの「荻上チキ SESSION」(月曜から金曜、午後5時から8時)が「シリーズ戦後80年特集」として8月11日に南京事件を取りあげ、笠原十九司氏を招き、笠原十九司氏は50分にわたり解説、12日にYouTube上で流れました。
 そこで笠原氏は、海軍航空部隊が中国爆撃を行えば、陸軍は松井石根と武藤章と柳川平助が功を競い、兵隊は上海戦の夏服のまま歩いて南京まで進み、補充兵には上官がおらず、中支那方面軍に兵站の担当者がいなければ憲兵もおらず、そのため日本兵は民家に入って略奪と強姦をした、と説明しました。その説明を聞けば、当時の日本人の道徳はそれほど乱れていたのか、日本という国は犯罪者の群れからなっていたのか、日本軍は軍隊のていをなさず、そのような軍隊に負けた中国軍はどれほど弱かったのか、とつぎつぎ疑問を抱き、その説明に納得するひとはいないでしょう。
 また笠原氏は、南京事件を否定する歴史修正主義者がいるとして、彼らに反省がなく、そのため南京事件の被害者は傷つけられ苦しみ、日本軍がいかに残虐だったか修正主義者はもっと想像しなければならない、と説いています。
 平成30年9月19日に文京シビック小ホールで「南京攻略81年記念大講演会」が開かれたとき、マスコミ入場取材お断りの告知にもかかわらずTBSラジオは入場、講演内容をその日の番組で流し、そのことを主催者から抗議されると、報道の自由だ、と居直りました。社会生活の基本もわきまえないTBSラジオが反省といっても、自分から反省すべきといいかえされるだけでしょう。

 笠原十九司氏の「南京事件」が「南京事件 新版」として7月30日に刊行されました。50頁ほど増え、そのぶん章が増し、文章の入れ替えがありますが、内容はほぼ変わりません。
 平成9年に刊行された「南京事件」は、笠原十九司氏がそれまで依拠してきた東京裁判の南京事件が崩壊したため、新たに構築がなされました。日本軍は戦時国際法に反した渡洋爆撃を行い、陸戦条約に違反して包囲殲滅戦を行い、国際人道法に反した残虐行為を行ったと牽強付会し、それまで南京事件といわれていた期間と場所を大幅に拡大もしました。そのうえで、南京攻略戦開始の市民を40から50万人とみなし、戦場の戦死体をほとんど虐殺と数え、架空の埋葬記録を引用、軍民の犠牲者数を20万人近いかそれ以上としました。論理がまったく破綻したにもかかわらず「新版に寄せて」のなかで、「ロングセラーとなり刷を重ね、歴史学会でも通説とする評価を受け」新版を出版した、と自画自賛しています。
 新たに増した部分は、日本海軍の作戦、中国側から見た被害、スマイス著「南京地区における戦争被害」を用いた市民犠牲者数の3点です。日本海軍も南京事件の責任があると主張しますが、中国のいう犠牲者をあげるだけです。海軍機が爆撃したのは軍事基地と兵站戦で、爆撃記録があり、市民を爆撃したことはありません。つぎの中国側から見た被害については、これまでとおなじで半世紀以上も経った証言が意味をなさないのはいうまでもありません。最後の「南京地区における戦争被害」の引用については、すでに「南京地区における戦争被害」が策を弄した数字を記録した宣伝物であることが明らかにされており、それに反論することなく、国民党の宣伝物であることを隠し、数字を上乗せしているにすぎません。
 指摘されてきた旧版の間違いのなかでは、南京事件を「戦時国際法と国際人道法に反した不法残虐行為」と記述していた部分の「国際人道法」(第二次世界大戦後の考え)が削除されただけです。8月1日の東京新聞、3日のしんぶん赤旗、6日の産経新聞などが新版を紹介したり笠原十九司氏を引用したりしていますが、それらは的外れです。

 6月6日に河村たかし議員が政府は南京事件が本当にあったと考えているかと質問主意書を提出すると、17日に政府は南京事件は否定できないと回答しました。そこで18日、初鹿野裕樹氏はXへつぎのように投稿しました。
 「南京大虐殺が本当にあったと信じている人がまだいるとのかと思うと残念でならない。日本軍は『焼くな、犯すな、殺すな』の三戒を遵守した世界一紳士な軍隊である」
 このとき特に反応はなく、7月20日初鹿野氏は参議院選挙神奈川選挙区で参政党から当選します。ところが29日夕方、とつぜん初鹿野議員の意見に対しXで批判が出はじめ、30日昼には立憲民主党の有田芳生議員も「歴史の修正とか改ざんのレベルではありません。それ以前。ただ恥ずべき広大な無知。からっぽ」「これが国会議員。これが日本。協同して抗うしかありません」と批判しました。
 それに対して8月2日、初鹿野議員は神谷宗幣議員と藤岡信勝「新しい歴史教科書をつくる会」顧問と鼎談してそれらに反論しました。
 鼎談は8日にYouTubeへアップされました。神谷議員は南京事件の外務省ホームページに関して三度も質問主意書を提出し、初鹿野議員は鼎談での発言からわかるように南京事件に関する知識を十分持ち合わせています。そのうえで専門家の藤岡氏が、南京市民の人口は日本軍の攻略の前も後も変わっていないこと、宣教師ベイツの宣伝が南京事件として広まったことなど南京事件といわれているものを明快に説明しました。

 7月25日、中国製作映画「南京照相館」が封切られました。31日、中国人民共和国駐日本国大使館は、「南京照相館」が公開と同時に大ヒット、公開翌日には収益1億元を突破、とXに投稿しました。また子供は強制的に観せられ、観たあと涙を流す子供や日本に激しい敵意を抱く子供の動画がXに投稿されました。おなじ31日、蘇州で日本人母子が襲撃され、母親が殴られる事件が起こり、映画の影響によるものと伝えるXもあります。
 「南京照相館」については、中国が日本向けのニュースを流している「CGTN JAPAN」はじめ、この欄でもすでに紹介しており、南京陥落のさい日本軍の撮影した虐殺の写真を7人の南京市民が盗み出すというストーリーです。しかし、日本軍に戦線を撮影する部署はなく、16枚の写真も真冬の南京とかけ離れたものからなっており、事実でないことはこれまで指摘されてきました。
 中国人民共和国駐日本国大使館の投稿とともにXに批判が殺到、蘇州で殺傷事件が起きるとさらに投稿が増えました。外務省は適切な手段を取っていません。

 申奥監督がメガホンをとった中国映画「南京照相館」が7月25日に中国で封切られます。
 「南京照相館」は陥落した南京が舞台で、日本軍将校が写した虐殺のネガを南京市民が運びだす計画を描いたものです。戦後南京で開かれた軍事法廷に南京陥落のさい日本軍の将校が撮り、南京市民が持ちだしたという十六枚の写真が提出され、平成二十七年に南京事件がユネスコ世界遺産に登録されたとき十六枚の写真が登録されましたが、その写真をめぐる動きを映画化したものです。
 しかし、日本軍に戦闘や戦場を撮影する部署はありませんし、担当者もいません。十六枚の写真を見ると、日本軍の服装に冬の南京とかけ離れたものがあります。撮影場所と撮影者はまったく不明です。昭和十三年、オーストラリア人カメラマンのファーマーが中国駐在のアメリカ武官やアメリカのグラフ誌「LOOK」に日本軍による残虐行為の写真を送り、それと十六枚はダブっていますが、ファーマーは中国の国際宣伝処で働いていたカメラマンです。
 このことから十六枚の写真は宣伝物であることが明らかで、すでに世界遺産に登録されたとき指摘されました。
 また、「南京照相館」には銃剣で差した幼児を日本兵が空中に掲げる写真や、斬りおとした首を日本兵が持つ写真が軍の不許可の判が押され映しだされていますが、それら日本兵の軍服は日本のものでありません。また、軍の検閲により不許可の印の押された紙焼きは新聞社に残されていますが、幼児を掲げたり、首を持った紙焼きはありません。
 「南京照相館」は中国がこれまで製作してきた宣伝映画そのもので、多くの市民を川べりで殺害される場面などが映しだされ、中国人の反日感情を掻き立てるだけのものです。