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「慰霊」連載の「あの戦争を振り返り戦没者の霊を慰する」が「いわゆる南京事件(その二)」を掲載

 大東亜戦争全戦没者慰霊団体協議会の機関誌「慰霊」が「あの戦争を振り返り戦没者の霊を慰する」と題する連載をしていることはすでにお知らせしました。東京裁判研究者であり、元くらしき作陽大学教授の松元直歳氏の執筆によるもので、14回目の前回で「いわゆる南京事件(その一)」が始まり、今回は(その二)が掲載されました。ここでは昭和十二年十一月下旬から十二月上旬における南京をめぐる日中の動向が描かれており、つぎのような記述がなされています。
 十二月に入ると、中国政府関係者は南京から離れだします。日本軍は進撃の速度を速め、九日に中国軍へ降伏勧告をします。南京は去ろうとする市民で大混乱を来たし、漢奸狩りが展開されて街角にさらし首が見られるようになります。南京には疎開する経済力のない市民だけが残り、アメリカ宣教師たちは、上海につくられた安全地帯をモデルに南京城内に避難地帯を設けようと、十一月二十九日、南京安全地帯国際委員会をつくります。南京防衛の司令官唐生智も南京市民に安全地帯への集結を命じます。しかし中国兵のなかに安全地帯へ逃げ込む兵が現れ、国際委員会にはそれを阻止する力がなく、安全地帯の中立性は確保されません。日本軍は、中国軍の軍事施設がない限り安全を保証するとしますが、安全地帯を全面的に認めるまではいきません。
 このような南京の状況がさまざまな資料を使って描かれます。著者は、いわゆる南京事件の実態を了解するうえ南京安全地帯国際委員会の設立は見落とすことのできない要素、として多くを割いています。