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「南京戦はあったが『南京虐殺』はなかった」の石原隆夫氏が死去

 「南京戦はあったが『南京虐殺』はなかった」の名句をつくった石原隆夫氏が三月に亡くなり、十一月二十八日夕方から偲ぶ会が東京・本郷で開かれました。
 石原氏は「新しい歴史教科書をつくる会」発足時からの会員で、杉原誠四郎会長のもと平成二十三年から二十七年まで副会長を務めました。建築士ということもあり、丹念に資料を集め、形を作り上げていくことが得意で、平成二十四年、南京陥落七十周年にあたりパネル展が計画されたとき、中心となり進めました。このときパネル展の名前としてつくられたのが「南京戦はあったが『南京虐殺』はなかった」で、パネル展は大成功、そのさい作成された五百円の冊子も人気を呼びました。冊子は南京事件といわれるものの実態をわかりやすくまとめており、増刷され、英文でも刊行されています。
 この名句ほど南京事件を端的に表すものはなく、そのときだけでなく、昨年、南京事件と通州事件のパネル展が開かれたときなども使用されています。
 石原氏とおなじく副会長をつとめた岡野俊昭氏が昨年十二月に亡くなり、偲ぶ会は二人を偲ぶ会として行われました。杉原誠四郎氏、現会長高池勝彦氏、山田宏参議院議員たち四十人ほどが集まり、偲ぶ会のあと場所を変えて続けられ、ほとんどの参加者が参加して二人を偲びました。