実教出版の高校歴史総合に中島今朝吾第十六師団長の日記が掲載されています。
一、大体捕虜ハセヌ方針ナレバ片端ヨリ之ヲ片付クルコトトナシタレ共、千、五千、一万ノ群衆トナレバ之ガ武装ヲ解除スルコトスラ出来ズ・・・
一、後ニ到リテ知ル処ニ依リテ佐々木部隊丈ニテ処理セシモノ約一万五千、太平門ニ於ケル守備ノ一中隊ガ処理セシモノ約一三〇〇、其仙鶴門付近ニ集結シタルモノ約七八千人アリ、尚続々投降シ来ル。
一、此七八千人之ヲ片付クルニハ相当大ナル壕ヲ要シ中々見当ラズ。
この記述を理解するには、捕虜は何かからはじまり、戦闘中の捕虜の対処まで知らなければなりません。戦場の数字は正確でなく、戦闘中の数字はなおさら、という事実も知らなければなりません。「片付くる」「処理」はどのように使われるか、理解しなければなりません。日記に「後ニ到リテ知ル処ニ依リテ」とあり、その日に書かれたものでありません。理解するには多くの知識を必要とし、軍事史を研究する専門家向けの史料です。
そういった日記を説明もなく高校歴史総合に載せることは、生徒に理解させる、学習させる、という視点が欠け、教科書の記述として失格です。執筆者は教科書を宣伝文書とみなしているのでしょう。
高校教科書の検定が始まりますが、執筆者と文科省の真剣な態度が求められます。