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一見まとも、その実無内容・非常識(井上宝護)

 世に行はれる言説の多くは「一見まとも、その実無内容・非常識」である。

 まづ無内容の方。「尖閣諸島を東京都が買上げる」と発言した石原都知事に対して、例によつて訳知り顔の社説を並べた大新聞がまさしくこれ。「これは東京都の仕事ではないはず」(朝日)、「都民が都政を委託した知事の仕事ではない」(毎日)、「本来、国の仕事」(日経)…よくもこんな分り切つた形式論を並べ立てられるものだ。この程度なら新聞様が教へてくれなくとも、国民の大多数が知つてゐる。新聞は国民がバカだと思ひ込んでゐることが、これでよく分る。

 国の仕事なのに、その「国」がまるで仕事をやらうとしないから「義を見てせざるは勇なきなり」、都知事が已むに已まれず火中の栗を拾はうと言ふのではないか。正常な日本人なら石原知事を断固として支へ、臆病な政府の尻を叩いて内外にはつきりと「国有化」を宣言させ、本物の「実効支配」を断行させようと考へる。事実、国民の圧倒的多数が石原発言を支持してゐると聞く。知らぬはメディアばかりなり、である。

 次に非常識。野田数都議から鋭く問題点の指摘を受け、最近初めて「マッカーサー証言」を収録するなど一定の改善が見られる東京都立高校用歴史副教材「
江戸から東京へ」であるが、中にこんな記述がある。「
12月には南京を占領したが、このとき日本軍が中国の兵士や非戦闘員を殺害する事件が起こった(南京事件)」(117p)

 これを見てすぐに「変だな」と思はない人は、失礼ながら常識が足りない。日本は当時シナ(国民党政府)と戦争をしてゐたのである。戦争の最中に敵軍の「兵士」を殺すことは「事件」なのか。戦争だから非戦闘員が死ぬこともある。東京大空襲を見よ。広島・長崎を見よ。あれを「大事件」となぜ呼ばぬのか。かういふ教材を書く人も、それを見て不思議に思はない人も、ともに非常識なのである。

里見日本文化学研究所研究員 井上宝護


   

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