コンテンツへスキップ

報道も非難もされなかった「南京事件」はなかった(梶山茂)

 今春来日した中共南京市委員会の常務委員らに対し、河村名古屋市長が「南京大虐殺といわれる様な事件はなかったのではないか。」と発言し、大きな問題になっているが、本当は「なかったのではないか」ではなく、その様な事件は明確に「なかった」のである。

 この問題は、1946年8月29日の極東国際軍事裁判(東京裁判)の第58回公判当日から続いて66通にのぼる文書が、当時の中華民国首席検察官によって読み上げられ、初めて公にされた。それ迄の約9年間は関係諸国はもとより、世界のどの国においても、伝聞や推測による記述以外は全く取り上げていない。

 1912年に上海で創刊された権威ある英文年鑑「チャイナ・イアブック」の1938年版や1939年版にも、12月13日(日本軍南京を占領、1937年)とあり、12月17日には「日本軍南京入城」とあるが日本軍の南京虐殺という記事はない。しかし3月24日のところを見ると、蒋介石の国民革命軍による「南京強姦事件、1927年」という記録が載っている。これは、日本軍の南京占領より10年前に起きた「南京事件」の事である。

 また南京陷落と同時に入城した(外国人記者5名を含む)新聞、雑誌社等の特派員やカメラマンは約120人もいたが、誰一人として死体の山も血の河も見ていない。当時の朝日新聞は、日本軍の占領下における南京の情景を組写真にして連日報道し、「平和甦る南京」「きのうの敵に温情」「南京復興の足どり」などと、平和そのものの記事を掲載している。

 また欧米人記者たちも同年12月23日と翌年1月10日の2回、松井軍司令官に取材しているが「大虐殺」の記事も報道も非難もなかった。

 なお当時の交戦相手であった国民政府軍や中国共産軍、それに対日非難を続けていた国際連盟理事会の公式声明や文書でも、この問題には全く触れていない。それはつまり、その様な事件は一切なかったという何よりの証明になる。(創作以外)なかったことは書けないからである。

(社)全国教育問題協議会 顧問 梶山 茂


 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です